shibuya1000

Shibuya 1000_006 「シブヤ東西合戦」

2014年3月13日(木)18:00~

@渋谷ケアコミュニティ・美竹の丘2F多目的ホール

05 「渋谷と音楽」

田中知之(FPM) ☆Taku Takahashi(m-flo, block.fm) モデレーター:田村圭介(昭和女子大学)

プロフィール

田中知之(たなか・ともゆき)

DJ、プロデューサーとして国内外で活躍。ダンスミュージックに自身のルーツを散りばめた独自の音楽スタイルがワールドワイドに支持され、8枚のオリジナルアルバムリリースの他、多数のアーティストのプロデュースも手掛ける。(http://fpmnet.com

☆Taku Takahashi(たく・たかはし)

DJ、プロデューサー。98年にm-floを結成。ソロとしても国内外アーティストのプロデュースやRemix制作も行う。ネットラジオ"block.fm"を立ち上げ今最も熱いメディアとして注目を集めている。また、LOUDの"DJ50/50"で1位を獲得するなど、DJとしても益々進化している。2014年3月26日にはNEWアルバム「FUTURE IS WOW」を発表。(http://twitter.com/takudjhttp://block.fm

田村:奥から、m-floの高橋拓さん、FPMの田中さんです。私、昭和女子大学の田村です。よろしくお願いします。何が、渋谷の東西かということで、音楽の話になります。お二人は、今日来ていらっしゃる方が、若い世代だったら知らない人はいないみたいな感じです。今日、若い人達が来ていると思いますが、多分、お二人目当てに来ているのではないかと。お二人は、世界をまたにかけて活躍されているDJ、音楽プロデューサーです。5番目の東西は、世界からみた渋谷と、要するに、ローマ字で書くshibuyaと漢字で書く渋谷にかけて、東西という話をして頂ければと思います。まず初めに、渋谷の特徴として、渋谷に生まれ育ったというのが、例えば、髙橋拓さんは、小さいころから渋谷で遊んでいた、レコードを買い集めて、育ってきたらしいですが、そういった点から見て、渋谷との出会いっていうのをお話していただければ、と思います。高橋さんから。

■☆Takuさんの渋谷との出会い:ファーストラブ

高橋:では、僕から。高橋拓です。よろしくお願いします。僕、横浜生まれ、横浜育ちです。ただ学校が世田谷の方にありました。週末になると、小学校高学年くらいから、渋谷に行く回数が増え、中学生から中学生後半くらいから、毎週末渋谷に行っていました。なぜかというと、渋谷には必ず、自分が求めているカルチャーの塊みたいなものがありました。それは僕にとってはレコードでした。渋谷にレコード屋さん、しかも当時、大体レコードからCDにシフトするタイミングでした。だけど、そのCDで流れるものでなく、レコードで出ているものが世界的にかっこいいものがいっぱいありました。ダンスミュージックと呼ばれるもの、ディスコや僕らクラブという風に呼んでいるクラブミュージック、ダンスミュージック、そういったものが、いろんなものが集まっていて、それを毎週買いに行くのが、僕の一番の楽しみでした。そこが、渋谷の僕のファーストラブじゃないですかね。

■田中さんの渋谷との出会い:渋谷系

田村:対して、京都ご出身の田中さんですけども。

田中:渋谷との出会いですよね。僕、関西に28,9まで住んでいましたので、東京はいまだに外様な感じがしています。東京に都民税を払って、もう20年くらいになりますが、いまだに、お邪魔している感覚が否めません。渋谷と言えば、音楽的な観点から言うと、渋谷系という言葉があり、ご存知の方もいらっしゃるかとは思います。この言葉は、1990年代末くらいに渋谷を中心とした地域で売れている音楽、もしくはそのあたりに生活するアーティストたちが作った音楽のことをさすのですが、当時渋谷のHMVという輸入レコードCDショップがセンター街の奥の方にありました。そこの一角に太田さんというバイヤーさんが担当される、ちょっと変わったコーナーがあって、そこで売れているCDが渋谷系と呼ばれ始めたそうです。僕らは丁度それが流行った頃くらいに京都から出てきたので、すごく客観的に渋谷というもの、渋谷系という音楽のことを見ていました。ほどなくして、CDデビューさせてもらうことになりまして、その渋谷系みたいなものの端っこに加えて頂くことになりました。アメリカやヨーロッパなど、海外でもCDをリリースしましたので、プロモーションで出かけたときに、必ず渋谷という町のことについて質問を受けました。渋谷系という言葉は、日本国内では2000年に差し掛かるあたりから、もはや使わない言葉として、皆さんの口に上らなくなりました。海外では、最近はさほど言われないですが、そこから2010年あたりまで、海外で行くと東京の音楽=渋谷系でした。系統の系と書きますが、海外でも、その系まで言葉として、渋谷という土地名が入った音楽ジャンルとして、すごく欧米の音楽マニアの人には、有名な言葉でした。だから、僕はそういう意味で、渋谷というところはどんな町ですかと、なぜあんなことになっているのですか、という質問を、本当に何十回も受けました。拓さんも今、おっしゃっていましたが、何がすごいって、一時よりかは店舗も数も減り、パワーダウンはしていますが、クラブって言われる場所は渋谷にまだにいっぱいあり、レコード屋に関しても、なかなか音源が売れない時代の中にあってもまだいっぱいあります。パリでフランスの音楽を探すより、ロンドンでイギリスの音楽探すより、ニューヨークでアメリカの音楽で探すより、渋谷に来て買った方が、質、量ともに素晴らしいものが手に入ったという状況があり、そういう状況がなかなか渋谷にいらっしゃる方に認識されていないのではないか、と思うとすごくもったいないです。だから、渋谷というのは、音楽的にも文化的にも極めてすごい場所である、ということを、もうちょっと認識して頂けたら、という気持ちもあって今日ここに来ています。

高橋:僕、渋谷系って言葉がすごくビッグになり始めたタイミング、90年初頭くらいからだったと思いますが、その頃、アメリカの大学に留学していました。アメリカの大学でも、レコード屋さん行っていました。その中で実は、京都発信と渋谷発信の2つがありました。そのレコードを買っては、アメリカの友人たちに、「ほら、日本の音楽すごくかっこいいだろ」ということを言っていました。日本から、さっきHMVで売れていたものと言っていましたが、何がすごいかと言われたら、単純に消費者が買っているとか、渋谷に集まる人が単純に買っているだけでなく、そこから何かカルチャーが発信されている感じがしました。それは、アーティストであったり、さっき言ったバイヤー、要は買って売る人、セレクトする人、そういった人たちが渋谷というところに集まっていて、そこから何かエネルギーが発信されていた感じがロスに住んでいましたが、感じましたね。

田村:先ほどおっしゃっていた、渋谷がどうしてこういう街になったのかっていうのは、結構質問されたわけですよね。その時に例えば、田中さんは私が渋谷ですよみたいな。

田中:いえいえ、全然。僕は京都市上京区出身なので。でも、渋谷区にその時は住んでいたので、だいぶ税金も納めさせていただきました。(笑)渋谷は本当に特別な場所だったと思います。過去形にしちゃ、失礼ですね。(笑)いまだに特別な場所ですが、当時は特に、例えば、センター街にガングロというものすごく独特の文化がありました。所謂欧米のファッション、お化粧、メイクアップなどの流れを一切無視したセンスで、顔を真っ黒に塗った女子高生が生まれました。これはすごいことだと思います。これだけ情報がインターネットとかでシェアされる。ガングロができたときは、みんなが携帯電話を持ち出して、メールをやりだした頃だったのかもしれませんが、情報がこれだけシェアされ、センスが均一化される中で、全く独自のものが生まれるという渋谷はすごいなと思います。海外の人たちの、ガングロに対する反応の仕方とか半端なかったですよ。ガングロガールっていう曲をつくっていたヨーロッパの音楽家の友達がいて、すごくよくできている曲なんですが、そのくらいインパクトがあったと思います。例えば、パリがすごいところだと言って、パリに行ったときに、いきなり顔をしましまに塗った人たちがオペラ座の裏通りにたむろしていました、と言ったら、すごいインパクトじゃないですか。だから、そういうことが文化として生まれるということが、僕は、ものすごい何かを秘めているのではないか、とに思っています。いまだに。

■渋谷で音楽をつくること

田村:そんなお二人ですが、渋谷っていうのをテーマにして、音楽をつくられたりすることってありますか。

高橋:渋谷という場所を意識して作ることはあると思います。なぜかというと、実際、渋谷というお題で曲つくろうと思ったことは今までないですが、田中さんもまた、お答えになられると思いますが、毎日の生活が、僕の場合、渋谷です。もともと、横浜に住んでいて、渋谷というところで、かっこいい先輩たちがいる。その時は先輩というか、一アーティストに憧れている少年です。それがそのまま高校から大学に行き、そのあと、自分が音楽で、渋谷をベースに音楽をつくれる、なんて言って、スタジオも渋谷ですが、自分が渋谷で生活しているエッセンスというのは、すごく介されています。あと、僕が好きな音楽をつくっている人たちは、渋谷区で作っている人たちが、やはり多いような気がするんですけど、どうでしょう。

田中:僕のスタジオもずっと渋谷区にあります。住んでいるところは、この間ちょっとだけ移動して、目黒区青葉台になってしまいましたが、これまで、渋谷区でずっと住んでいて、鎗ヶ崎の近所にずっと住んでいました。ただ、目黒区青葉台と言いましたが、渋谷の駅に出るのは、余計近くなり、自分の中では、余計渋谷化したような気持ちがあります。渋谷というのをテーマに曲つくるのはさすがにありませんが、本当に、渋谷に行って遊んで、渋谷のクラブでDJして、渋谷でレコード買って、渋谷でご飯食べて、渋谷でレコーディングしている音楽は、それこそ渋谷の音楽だろうと。一辺倒のカルチャーでなく、例えば、ヤンキー文化であったり、ガングロの女子高生の変わった文化から、本当に欧米の一番ハイエンド、一番エッジーな音楽とかまで。

例えば、「俺のこの店で10年中古レコード屋やっているけど、初めて入荷したんだよ、すごいだろ」とアメリカのポートランドの中古レコード屋で100ドルで売っているレコードを自慢されたことがありますが、それは渋谷に行ったら、10枚くらいのストックがあって、1枚パッと売れたら、すぐ奥からストックが補充されるくらいの、本当に渋谷はそういう街でした。だから、そういう、所謂日本人の、さっきもバイヤーさんが、と拓くんが言いましたが、本当にバイヤーの目利きとか、センスとか情報収集力、バイイング能力などがずば抜けています。渋谷というところからちょっと離れて、東京の話をします。例えば、ビンテージの古着みたいなものとかに関して、欧米の古着のレアなものはほとんど日本に入ってきています。中古レコードのレアなものも、ほとんど日本に入ってきています。ジャズ、クラシック、ヒップホップであろうが、全部、マテリアルも含めて全部東京にあり、海外のバイヤーは今、向こうからこっちに買いに来ます。アメリカ、ヨーロッパものであったり、レコード、古着も、日本に買い物に来るという、すごい状況であると思いませんか。渋谷にはその中枢があり、メルティングポットにしても、意味がわからないことになっていて。本当にあらゆるものが全部渋谷で手に入るという状況だと思います。

■絶対王者・渋谷が池袋に抜かれた!?

田村:この間、打ち合わせさせていただいたときに、お二人が、「カルチャーのターミナル」だという話をされていました。すごく印象的だったのですが、今、田中さんの、何回か言っているのは、「だった」っていう過去形ですよね。そこら辺の感覚というのを。

田中:池袋の店舗の賃貸物件の坪単価が、渋谷を抜いたというのがニュースになっていたのをご存知ですか。平均の単価が渋谷は2万6千円なのが、池袋は2万7千円になったと。結局アニメ、オタク、執事バーなどを、区を挙げて誘致した事が要因だとニュースで読みました。すごいコンセプチュアルにそういうことをやって、人を集めて、お金を落とすシステムをつくっているということです。僕、池袋はサンシャインしかないなって思っていたのに。新宿はさすがに、それに千円プラスで2万8千円らしいですが。

高橋:池袋にあっていますよね。丁度何でもあるというか、オタクよりであるものも、そうでないものも、いうのは、池袋っぽい。

田中:渋谷プラス秋葉原って感じです。だから、いいとこ狙っているなと思いました。

高橋:渋谷は逆に、今秋葉原が流行っているから、もっとアニメ的な要素を入れようよっていうのは、渋谷ではないと思います。

田中:渋谷は絶対的王者だと思うのです。これは間違いないですが、ただ絶対的王者が胡坐をかきすぎることで、弱体化しているのではないか、いうのは、渋谷区民として思います。

田村:ちょっと元気がないのではないか、と。

■踊れないクラブがある国・ニホン?

田中:例えば、今、風営法の問題で、クラブの取り締まりがすごく厳しくて。

田村:踊れないクラブ、日本。

田中:そうそう。客を無断で踊らせた疑いで逮捕とか、「お前踊っていただろう、肩揺れただろう」とか、シュールな話なのですよ。ビックリします。客を無断で踊らせた疑い。おかしいと思わないのかっていう。おかしいですよ。

高橋:おかしなことが法律で定められてしまっているというのは、しょうがない。僕もおかしいと思いますし、実際、それは法律だからしょうがないというところもありますが、要は、知らない人もいるかもしれませんが、許可を取らなければいけない。要はクラブで、人を踊らせて営業する場合、許可を取らなければいけません。プラス、許可を取ったとしても、1時以降は閉店しなければいけません。1時以降、人を踊らせてはいけない理由というのは何故かというと、今の時代背景では、意味が分からないことが多かったりします。あと、さっきみたいに人を踊らせた疑い、などすごいですよね。

田中:コントの設定みたいですよね。

高橋:そういう話ですが、でも実際、その法律はしょうがないとしても、変えないといけない、変わっていくべきだと思う理由は何かというと、渋谷がカルチャーを発信しているところである、ソムリエ的な人たちが多い。今も多いと思います。音楽家の人たちがいっぱい住んでいるし、ダンスカルチャー、世界とつながれる音楽、日本から発信できる音楽があります。そもそも今日のイベントだって、めちゃくちゃマニアックな話じゃないですか。そんなことをこうやって、こういうところで行われているっていうのが、とても渋谷の良いところであると思います。そういった人たちが集まっているけれど、今のインフラの形、今のシステムだと、そういったものが生きなくなってしまっています。せっかく渋谷に素晴らしい、言葉の言い方に気をつけなればいけませんが、資源、こういう人達、財産。それをフルにもっとうまく活用できるような状況をつくっていかないと、どんどん田中さんの「だった」が増えていってしまうと思います。

田中:僕らが来たのが遅くて、区長にご挨拶できなかったのですが、所謂特区みたいなもの、文化特区なのか、音楽特区なのか分からないですが、渋谷はこうですよ、ということを言うべきだと思います。言ったもの勝ちだと思います。池袋はそう言ったから、それが求心力になって、人が集まり、うまい具合にそういうお金や人が、集まるシステムをつくっていた結果だと思います。渋谷は、インフラがすごく整備され続けています。僕らも丁度東急の渋谷駅の跡地で1日だけクラブをやらせてもらいました。大爆音でやったので大顰蹙(だいひんしゅく)だったらしいですが、それこそ、今を時めく原宿を代表するきゃりーぱみゅぱみゅさんと一緒に、駅でイベントをやりました。そういうことを、区をあげてやっていけばいいのではないか、と思います。渋谷区は、こういうところです、ということにすれば、そういう業態の人たちも集まりますし。改めて渋谷ってこうだぜ、というのを言うべきなのではないかと。

高橋:そうですね。

田中:本当にクラブも、渋谷区だけは朝の5時までやっても大丈夫です、ということにして、その代り、取り締まりをがっちり警察の方にやってもらうとかすれば、僕は夜中経済活動が活発なのはいいことだと思います。大阪ではアメリカ村界隈のクラブに対して風営法の取り締まりが厳しくなって、周りの飲食店が全部軒並み潰れてしまったりと、良くない状況にあります。渋谷でも、多少あるのではないかと心配はしています。

■僕らにとってクラブは音楽をつくる場所

高橋:DJという仕事をして、プロデューサーという仕事をして、音楽をつくっていく中、クラブというところは、実験の場でもあります。

自分たちが、音楽をつくる。そしてその音楽を発表する場所は、今まで皆さんはコンサートホールだったかもしれない。僕らの場合はクラブです。しかも、普通だったら、曲つくりました、全部完成しました、聞いてください、どうぞ、でなくて、今、つくっている途中段階のものを、クラブのフロアでかけて、フロアで踊っている皆さんが反応する。そのサイクルが行われていき、反応が曲に反映される。またつくって、オーディエンスに見せる。このループができ、曲が出来上がっていく。田中さんも、渋谷のサウンドミュージアム・ビジョンというところ、僕もクラブアジアという、渋谷のクラブを本拠地においてイベントを行っています。そこでそれやっている以上、そこから渋谷で音楽をつくっている、渋谷から生まれる音楽というのがつくられています。それこそ今、田中さんが言った、そういう特区、いわばカルチャー特区、もちろん全てのクラブで、悪いことを若者が必ずしないかといったら、そういうことは全然なくて、もちろん悪いことをする人たちもいるかもしれません。でも逆に、1時以降、彼らを野放しにする方が危ないと思います。要は、5時までやれるように規制緩和する=単純に規制緩和じゃなくて、もっと厳しくするところは厳しくすればいいと思います。例えば、入場検査を厳しくしなければいけないとか、一定の人数が入るクラブには、何人セキュリティを入れなきゃいけないなど、しっかり手綱も締めつつ、朝5時までできたら、営業時間が長くなればなるほど、収入というのは、上がっていきます。ちなみにどこどこが捕まって、何十億円稼いだというのは、盛った話です。実はそんな僕らのクラブのシーンって、そんな今、潤っている状況ではないのです。でも、世界は今それによってエンターテイメントビジネスを真剣に見つめて、しっかりと観光地として使っていたり、そう考えられているのが、先行している事例が今、多いです。そこもちょっと、見て頂けたらなと思います。

田村:話が尽きないですが、あとは、この後の懇親会で個人的に話を聞いていただくとかして頂ければと思います。これで、最後の5つ目のトークを終わりたいと思います。どうもありがとうございました。

 

田中知之(FPM)Tomoyuki Tanaka
☆Taku Takahashi(m-flo, block.fm)
田村圭介(昭和女子大学)Keisuke Tamura
  • @ケアコミュニティ・美竹の丘2F多目的ホール
  • @渋谷Glorious Chain Café