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Shibuya 1000_006 「シブヤ東西合戦」

2014年3月13日(木)18:00~

@渋谷ケアコミュニティ・美竹の丘2F多目的ホール

02 「シブヤ東西凹凸合戦−−谷底から見た渋谷」

皆川 典久(東京スリバチ学会会長)

プロフィール

皆川 典久(みながわ のりひさ)

2003年にGPS地上絵師の石川初氏と東京スリバチ学会を設立し、都内の谷地形に着目したフィールドワークと記録を続ける。2010年に『タモリ倶楽部』に出演、著書は『凹凸を楽しむ東京「スリバチ」地形散歩』(洋泉社)など。

東京スリバチ学会の皆川と申します。渋谷の街が谷間にあるというのはブラタモリという番組で、皆さんご存知かと思います。私が特に関心を寄せているのは渋谷の町を取り囲む小さな谷なのです。それらをご紹介していきます。

■渋谷周辺の「スリバチ」

私が呼んでいる「スリバチ」というのは、実はそれらの小さな谷のことなのですが、原宿駅を思い出してみてください。ホームを降りて、改札口に向かうときに、竹下口と表参道口があります。断面を見ますと、これくらい高低差がありま、ホームの真ん中に地形的な谷があるのです。谷があるということはここに水が流れているわけです。それでは上流がどこかというと、明治神宮内の清正の井です。それから下流側は、ブラームスの小径になっています。これはブラタモリで「失われた川」として取り上げられました。原宿の駅は谷をまたいでいるダムのような駅なのです。渋谷周辺にはこういう小さな谷がたくさんあります。

凸凹の地形図で見てみます。原宿の駅の真下に、明治神宮の中から流れてきた川が流れ渋谷川に合流しています。渋谷周辺だけ見ても東京の地形は複雑に凸凹していて、こんなにたくさんの川が流れているのも分かります。

水源にあたる明治神宮内の井戸は最近、パワースポットとして人気があります。若い女性たちはパワースポットとして、明るく紹介してくれるのがいいのですね。登山を趣味とする女性を「山ガール」と呼ぶそうですが、我々は谷間ばかりを歩いているので、「谷オヤジ」と自分たちを呼んでいます。

もう一つ、誰もが知る谷間を紹介しましょう。この写真は原宿駅前にあった歩道橋から撮影したもの。この歩道橋は最近、撤去されてしまったので、この風景を見ることができなくなりましたが。表参道のまっすぐな道がぐーっと下がっていって、一番下がった谷間にあるのがキャッツストリート。あの道こそ渋谷川の川跡です。谷底に川の痕跡が残る場所が東京にはたくさんあります。

■東京の「谷」

これは「カシミール3D」というソフトを使って、標高10m以下をブルーに表現しています。左側の武蔵野台地にたくさんの谷が入り込んでいますが、ちょっと地名を思い出してみてください。四谷、市ヶ谷、渋谷、それから千駄ヶ谷、幡ヶ谷、茗荷谷、谷中、世田谷とか、谷のつく地名が多いことに気づくでしょう。このように、実は東京は谷をキーワードにするといろいろと見えてくるものがあります

ということで、渋谷のはなしに戻りますが、渋谷は崇高なる谷の町と言うことで、同じ副都心である新宿、池袋とは地形的に大きな違いがあります。

まずは新宿。新宿は、青梅街道と甲州街道の分岐点(追分)にできた宿場町です。昔の街道というのはだいたい尾根筋を通っているので、谷をさけながら、郊外へと続いています。青梅街道が最初に降りなければならなかった谷が、神田川架かる「淀橋」で、この一帯の地名となりました。新宿の中心街自体は、丘の上なのですけれども、新宿の周縁部には、たくさんの川が湧き出て流れ出ていました。川がつくった谷の例として歌舞伎町があります。歌舞伎町って、夜飲みにいくとき、何となく足取りが軽やかじゃないですか。あれは、楽しいからだけではなくて、実際に下り坂だからなのです。今度、行くときには、地形に気をつけていただけるとわかるかなと思います。

それからももう一つ副都心、池袋ですね。池袋って何となくじめじめしたイメージですが、実は、崇高なる丘の町なのですよ。古地図で見ると、池袋村といわれていたのは、池袋の駅よりも北西よりのこの辺り。池袋も丘の町なので、少し離れた周縁部にたくさんの川が流れています。池袋という地名は、川の水源、もともと水の湧く池があったっていう説がありますが、スリバチ学会的には、池袋という村があった場所に着目して、池のような川(谷端川)が袋状に囲んだ土地ではないか、という説を立てています。これは全国の「袋」とつく地名から類推しても妥当な説だと自負しています。

■「谷」のターミナル・シブヤ

ということで、ようやく渋谷の登場です。山の手の副都心の中で、唯一谷の底にある町が渋谷なのです。地形図を見ると谷底へ向かって小さな川が集まっているのが分かりますね。宇田川と渋谷川は渋谷駅あたりで合流していました。渋谷の他にも谷の町はないものかと調べてみました。一つは大塚でもう一つが大井町でした。どちらも地味な印象の町ですが、行くと谷間に駅があるのが分かります。地味ながらも大井町は実は、戦前までは乗降客数が日本一だった駅なのです。谷の町は栄えるのかもしれませんね。

東京スリバチ学会では、渋谷は鉄道のターミナルであることに加え「谷のターミナル」と勝手に呼んでいますが、先程の渋谷川、宇田川、そして宇田川の上流部の小田急線の辺りを流れていた河骨(こうほね)川、青山学院大学辺りから流れ出ていたイモリ川、広尾の天現寺橋のところで渋谷川に合流していた笄川(こうがい)川など『春の小川』にも歌われたようなのどかな川が渋谷の周りにたくさん流れていました。

渋谷の母なる川、渋谷川の水源をご紹介します。実はここから歩いても一時間かかりません。新宿御苑の中に、谷間に水を溜めた池がありますが、これらは水源の近くの池で、水源はこの先の天龍寺というお寺の中にありました。そこから湧き出た水が、新宿御苑の中を流れて、千駄ヶ谷やキャットストリートを経て渋谷までたどり着いているのです。

もう一つの川、宇田川を上流へと遡ってみましょう。少し歩くと代々木八幡駅にたどり着きますが、あの辺りはたくさんの川が集まったところなので、代々木九十九谷と呼ばれていました。

山の手の町を歩くと、なにげない窪みに出会えることがあります。これを、「まちの窪みは海へのプロローグ」と言っていますが、なかなか良い言葉だと思いませんか。渋谷川だって下流へと辿っていくと、天現寺橋を経て、川の名が古川に変わりますが、金杉橋通って、東京湾まで行けます。なんかロマンを感じませんか。

ということで、わざわざ谷川岳の麓までいって、水源探索しなくてもいいのです。宇田川の水源探索は渋谷から1時間も歩けば、たどり着けてしまう。まだまだ我々大人も冒険をあきらめてはいけない、というメッセージが込められていると思いませんか。

次に、シブヤ凹凸合戦ということなので、断面図で渋谷駅周辺を見てみましょう。宮益坂と道玄坂が向かい合い、20mくらいの高低差があるのが分かります。青山通りから銀座線が渋谷駅に近づくと、地上に出てしまうのは、ここが大きな谷だからです。銀座線と丸ノ内線は、「谷」のつく駅名で地上に出てしまいます。四谷駅、茗荷谷駅が該当します。丸ノ内線に乗っていて、初めて東京に来た人は、四ッ谷駅で地上へと出る地下鉄に驚くかと思いますが、車内でささやかれる「どうして?」という問いには、「谷だからさ!」と言いたくなります。

これはヒカリエの高層階から撮った写真ですが、現在、渋谷駅周辺の建物が解体されたので、谷地形が露わになっているのは地形マニアにとっても貴重な写真です。

今度はカシミール3Dで作成した凸凹鳥瞰図を見てみます。これは西側から皇居方面の凸凹を見ています。平らな台地に、無数のスリバチが刻まれているのがわかりますか。大山街道はこうして谷間を避けながら尾根筋を走っています。

次は、反対側の青山側から西の方を見た鳥瞰図です。武蔵野台地はどこまでも平らで、いくつもの川が刻んだ谷が入り込んでいるのが分かりますね。

■シブヤの「東」には古くからの神社が鎮座

歴史的に渋谷の場所を見てみます。これは江戸時代の末期の古地図ですが、赤線で書いたところが、江戸の市中だった範囲です。渋谷が本当に江戸の端だったのが分かるかと思います。渋谷川は下流に行くと古川と名前が変わりますが、江戸市中に入ったところから古川となるのが分かります。天現寺橋辺りから先の、海側は江戸の市中だったのです。ですから、渋谷川とよばれた流域の一帯は元々農村や畑があったところで、自然の中に小川が流れるようなのどかな風景が広がっていた場所が渋谷川とよばれた範囲です。都市の経済活動を支えていた舟運に利用されていたのが古川であり、昔の人はそのように川の呼び名を使い分けていました。

古地図で見ると渋谷の場所はこの辺りです。右側の白い部分は、武家地や大名屋敷を表しています。渋谷川の西側は緑色で表わされていますが、まだまだ田んぼや畑が広がっていたのです。ですから渋谷の「東西」とは鉄道が出来て分断された東西というものではなくて、江戸から連綿と続く歴史の中で、市中(市街地)と郊外という成り立ちの違いに起因するものなのです。古地図を拡大すると田中稲荷の文字があるのが分かります。名前の通り、田んぼの中にあるお稲荷さんで、雨乞いや豊作を祝う神です。今は金王八幡神社の横に遷座しています。

(注:『今昔散歩重ね地図』(株式会社ジャピール)を使って加工)

大山街道の宮益坂と道玄坂という坂の名前自体が、都市と郊外を象徴していると思います。宮益坂は、坂の途中にある御嶽神社に由来し、江戸の周縁部、谷間を臨む台地の端にあるわけです。一方の道玄坂は、この辺りに出没した盗賊の名前に由来します。盗賊が出るくらい町はずれのワイルドな場所だったのです。向かいう坂の名前からも、渋谷の東西の歴史を象徴していると思います。 渋谷駅の東側には古くからの神社が多く祀られているのが特徴です。

江戸の周縁部にあたる「台地の端」の話に戻りますが、神社というのはその場所の特異点、例えば岬状の突端だったり、微高地に建立されている場合が多い。3.11東日本大震災の際、仙台平野にある浪分神社には津波が到達しなかったことから「浪分」の名の真意が話題となりましたが、古代から続く神社の位置をプロットしていくと、津波に襲われないような立地特性が分かってきます。渋谷の場合も穏田神社や御嶽神社、氷川神社、八幡神社など、いずれも台地の先端に位置しているのです。

■シブヤの「西」の田んぼ・丘・谷

一方、渋谷駅の西側は元々郊外、ほとんどが田んぼや畑だったので、神社はあまり多くありませんが、円山町の百軒店(ひゃっけんだな)には千代田稲荷という由緒ありそうなお稲荷様が祀られています。千代田稲荷は元々、太田道灌が築いた江戸城、すなわち千代田村にあったものを、百軒店の開発の際に、渋谷に遷座させたものです。ちなみに名前に「田」の文字がつく場合は、元々低地の湿地帯や、水田だったところが多いです。千代田の名も、大田道灌が入城する前にあった、土着の農村、集落の名前なのです。江戸城の麓には桜田や祝田、神田など、農村集落に由来する名が今でも残っていますね。郊外では羽田や蒲田がその例です。

百軒店は、雰囲気的にスリバチっぽいのですが、実はれっきとした丘の町です。関東大震災のあとに震災復興のために劇場や映画館を配し、下町で被災した商店街をここへ呼び寄せました。百貨店のようになんでもある町ということで、百軒店と名付けられましたが、「丘の上の下町商店街」は事業的には上手くいかなかったようで、誘致したお店はみな坂を下りた谷の方へと戻ってしまいました。商業的にはやはり、谷間の方がいいということなのでしょう。

渋谷駅西側の地形について眺めてみましょう。たくさんの小さな川が流れ、河谷が分断した丘それぞれに町の名が付けられています。神山町、円山町、鉢山町、桜丘町、代官山。このように丘をイメージさせる町名を持つ、性格の違う町が並列しているのは町と町の間に河谷があることに由来します。

渋谷の駅から歩いて15分ほどのところに、このようなスリバチ状の鍋島松濤公園があるし、代々木八幡の方へさらに行くと、我々が「深町のスリバチ」と呼んでいる窪地があるのをご存知でしょうか。神山町と富ヶ谷を隔てる谷間です。写真は丘の上から谷間を俯瞰したものですが、「スリバチの空は広い」のが分かりますよね。凸凹地形を歩いていくと、突然視界がひらけることがあります。こういう感動が、神山町の先で待っています。神泉町も神泉谷と呼ばれた谷間の町で、鴬谷町もその名の通り、鉢山分水という川が流れていました。字名でいうと、長谷戸(はせど)という字名でよばれていました。

渋谷駅周辺に点在する小さな谷を紹介しましたが、やはり戻ってくるのは渋谷駅周辺「沖積低地はいいぞ」ということです。センター街は、元々宇田川の沖積低地だった場所を戦災復興事業で整備した場所。それからのんべい横丁は、渋谷川の川端にあたります。建物の裏側に渋谷川の川跡があるのは、ご存知のことかと思います。現在、自転車置き場になっているところです。この山手線の下のくぐる遊歩道は宇田川の川跡で、この辺りで宇田川と渋谷川が合流していたのです。また、谷間の底辺である渋谷のスクランブル交差点の下に、日本で最初の「しぶちか」という地下街があります。やはり商業的には、谷の底が成功するのでしょうか。そして村松先生の写真にもありましたが、渋谷を象徴する場所として、渋谷駅前のスクランブル交差点を最後に取り上げましょう。

■人は「谷」に集まってくる?

いつも思うのですが、なぜこんなに多くの人で賑わうのだろうか?やはり町を歩いているとスリバチ状の底には人が集まるのかな、と思ってしまいます。ヨーロッパで一番美しい広場と言われている、イタリア、シエナのカンポ広場も行ってみるとわかりますが、ここも地形的にスリバチ状になっているのが分かります。万国共通、人は心理的にも谷に惹かれるということでしょうか。「谷に集まるのはムーミンだけではない」という言葉もあるぐらいなのです(笑)。

■渋谷川がシブヤの東西をつなげている

さいごに渋谷の母なる川、渋谷川の話に戻りますが、スリバチ学会的には、渋谷の町とは川が東西を分けているというよりも、渋谷の川が東西を繋いでいる、といった方がふさわしいと思います。現在私は、仙台で復興関係の仕事をしていて、本日のような話を紹介すると質問されるのですが、「都市部と農村部どちらを復興させるべきか」ということがしばし話題となります。実は川を主体に地域を考えてみると、実は同じ流域であったりするのです。ですからそんな発想もあってもいいのかな、ということで、渋谷を語る際は、ぜひ渋谷川とその他の名もなき小さな川を忘れないでほしいです。「書を捨て、谷へ出よう」がさいごのメッセージですが、「スリバチ」とか言って、ふざけたヤツだと思われた方も多いでしょう。でも、良いこともちょっとだけ言ったな、という記憶にとどめていただければ幸いです。ご清聴ありがとうございました。

 

皆川 典久(東京スリバチ学会会長)
Norihisa Minagawa
  • @ケアコミュニティ・美竹の丘2F多目的ホール
  • @渋谷Glorious Chain Café