Shibuya 1000_008 「シブヤ上下合戦」
2016年3月18日(金)19:00~
@イベント&コミュニティスペース dots.
02「渋谷の文化移動説」〜対談〜
海野 緑(㈱東急文化村シアターオーブ事業部部長)+ 南後 由和(社会学者・明治大学専任講師)
プロフィール
海野 緑(うんの みどり)㈱東急文化村シアターオーブ事業部部長
岩手県生まれ。テレビ朝日でのスポーツ番組制作、ミュージカル制作を経て、2012年(株)東急文化村に入社。ミュージカル専用劇場"東急シアターオーブ"にて海外からのミュージカル招聘、オリジナル作品の発信を行う。
http://theatre-orb.com/
南後 由和(なんご よしかず)社会学者・明治大学専任講師
大阪府生まれ。東京大学大学院学際情報学府博士課程、情報学環助教などを経て、2012年より明治大学情報コミュニケーション学部専任講師。都市とメディア、建築と社会に関する研究に従事。著書に『建築の際』『モール化する都市と社会』など。
海野:東急文化村の、東急シアターオーブから参りました海野緑と申します。今日はよろしくお願いします。
今、浜田さんのお話、実は聞いていまして、びっくりしたというのが正直な感想なんですが、ただ、ギャル文化っていうのは、私がこれからお伝えしたいなと思っている劇場カルチャーにすごく似ているなという気がしました。渋谷全体を要はステージと捉えて、ギャルの皆さんが女優ってことですよね。「私は女優よ」文化は本当に劇場と実は似ていて、それがポップカルチャーなのか、今ご紹介いただいたハイカルチャーなのかの違いだと思いますし、かなり違うジャンルのものを2つとも共有している渋谷っていうのがすごい奥深く感じたというのが、率直な感想です。
今ご紹介いただきまして、カルチャーに"ハイ"と"ロー"があるのか、ちょっとそこは私には疑問ではあるのですが、「ハイカルチャー」と呼んでいただいています我々の劇場のお話をさせていただこうと思っています。
これから劇場のお話をさせていただく前に、皆さんにアンケートを取らせていただきたいと思います。先生も是非参加してください。
(Q)劇場といいますと、いろんなエンターテイメントをやる場所なんですが、クラシックコンサートだとかオペラだとかバレエだとかクラシックを劇場で見たご経験がある方はいらっしゃいますか?
多いですね。ありがとうございます。あと2つあります。
(Q)お芝居、ストレートプレイと言われるお芝居を劇場で見たことのある方はいらっしゃいますか?
ありがとうございます。
(Q)最後の質問ですが、ミュージカル、歌って踊ってのミュージカルを見たことがあるという方はいらっしゃいますでしょうか?
見た感じ、ほぼ皆さんすべて見ていらっしゃるような気がします。なんとなくクラシックとミュージカルがちょっとだけ多かったかなという勝手な目算なんですけど、ただ、非常にここにいらっしゃる方はたくさんの方が劇場に来ていただいて本当に嬉しく思います。
◆東急文化村のめざすもの
私のいる東急文化村なんですが、この渋谷にいらっしゃる皆さんが文化とかカルチャーに触れることによって豊かな人生を送ってもらいたい、豊かな気持ちになってほしい、そして、そういう芸術を提供する芸術家が集うまちに渋谷をしていきたいという考えで、27年前にオープンしました。我々の施設は複合文化施設ですが、来ていただいた方がたくさんいらっしゃると思いますが、劇場もありますし、映画館もありますし、ミュージアムもありますし、1つの場所でいろんな文化を体験できるという施設をつくりました。
27年前にこの劇場、施設を作った我々の先輩方、先人の皆様がBunkamuraをつくるにあたって1つこだわったことがあると聞いています。それはソフト優先のホールづくりということだったそうです。よく、ホールをつくりました、劇場をつくりました、さあ何をしようかという話を聞きますが、我々は、いいクラシックをお客様にお届けしたいので「オーチャードホール」というクラシックのホールをつくらせていただきました。また、優れたお芝居をみなさんに見ていただきたい、ここで芝居をつくりたいというので、芝居の専門の「シアターコクーン」という劇場もつくらせていただきました。このようにソフト優先の文化施設をつくって劇場的な空間や劇場等の体験をしていただこうというのが東急文化村の仕事になります。
◆2つの拠点〜Bunkamuraとシアターオーブ〜
よくご存知かと思いますが、「Bunkamura」は、この渋谷の地図の左側、松濤というちょっとこれはまたハイカルチャーな街にあるんですが、4年ほど前、ちょうど右側にあります渋谷駅の真上に3つ目の新しい劇場を作らせていただきました。もう皆さんよくご存知かと思いますが、ヒカリエというビルの中のちょうどこの写真でいう青い部分に大きな劇場ができました。このビルの11階から16階に位置しておりまして、大体地上から70mぐらいの非常に高いところにある劇場なんですね。実はこの劇場は2000席という大きな規模の劇場なんですが、これほどの規模の劇場が地上70mの位置にあるというのは日本で唯一ここだけです。日本で一番高いところにある大規模な劇場だと言うことができると思います。劇場の名前は「シアターオーブ」と言います。
◆シアターオーブのこだわり〜
我々はこの劇場を運営するにあたりまして、すごくこだわっていることが2つあります。まず、ハイカルチャーを渋谷で体験していただくには本当のこだわりというのがすごく大事だと思っています。今見ていただいているのはシアターオーブのロビー、我々はホワイエと呼んでいますけど、ロビーになります。高い場所に位置している劇場だからこその特権なのですが、一歩こちらに足を踏み入れていただきますと、仕事の嫌なことですとか夫婦喧嘩のこととか、要はそれらを全部忘れていただけるような空間演出をしています。非現実の空間に皆さんの身を置いていただいて、そこで文化、カルチャーを楽しもうよという考えですので、空間づくりをすごく大切にしています。シアターオーブに来ていただきますと、これはちょっとプチ自慢になりますが、富士山が見えます。これはもちろん天候にもよりますが、このような富士山をはっきり眺めることができます。こういった環境づくり、空間づくりは、劇場にとって非常に大切なんじゃないかなと思っています。
そして、ここからが我々の仕事なんですが、提供するソフトにもすごくこだわっています。シアターオーブというのはミュージカルの専用劇場です。先程、8割くらいの方がミュージカルを見ましたと手を挙げていただいたのですが、歌って踊ってというミュージカルを専門的に上演する劇場になります。そのミュージカルなんですが、150年ほど前にニューヨークで立ち上がったという説があります。この世界地図の右側にあるニューヨークのブロードウェイですとか、あるいはロンドンのウェストエンドですとか、そういったミュージカルの本場とか聖地と言われるところから、そこで演じているキャストの皆さん、あるいは裏方として働いていらっしゃる技術の方全員を飛行機に乗って来ていただきまして、本場とほぼ変わらない上質のミュージカルを提供するということをこだわってやっています。
では、なぜミュージカルなのか、なんでこだわったのかという話をさせていただきたいと思います。さっきご紹介したクラシックの伝統、あるいはお芝居の伝統というのも非常に大事な「ハイカルチャー」だと思います。ただ、ミュージカルって、オペラなんかよりもちょっと敷居は低いですし、歌があったり、踊りがあったりすることによって、子どもからおじいさんおばあさんまで、場合によってはギャルのみなさんも楽しんでいただける作品もたくさんありますので、幅広いお客様に認知させていただけるカルチャーなんじゃないかなと思っています。
例えば、右上の写真は「ウェストサイドストーリー」という古くからある有名なミュージカルなんですが、そういうものを上映したり、右下の傘の写真は「雨に歌えば」という作品なんですけど、こういう皆さん聞いたことのある作品をミュージカルとしてたくさん届けているのが我々の劇場になります。
今年もこういうものが見れますよというここは宣伝の一枚なんですが、例えば、「ドリームガールズ」という作品が6月にあります。ビヨンセもある意味アメリカのギャルの1人じゃないかなと思うんですけど、ビヨンセで有名になった「ドリームガールズ」なんかもアメリカの高いクオリティのものを見ていただけるというのがシアターオーブになります。
◆シアターオーブの挑戦
最後に、シアターオーブについて、もうひとつ、みなさんにお伝えしたいことがあります。この4年間、アメリカやイギリスの「ハイカルチャー」を呼んで日本のみなさんにお届けするという仕事をしてきましたけれども、これからは我々が作ったカルチャーをアジアに持っていこうというふうに考えています。何かと言いますと、ニューヨークやロンドンで活躍しているミュージカルのアーティストさんを日本にお呼びしまして、日本のミュージカル界で活躍されている演出家、音楽監督の皆様とコラボレーションしていただきました。日本とアメリカ、日本とイギリスでのスタッフとキャストで作ったミュージカルを楽しめるミュージカルコンサートというのをつくりました。これがアジアにある劇場の皆様に非常に興味を持っていただきまして、うまくいけば来年のうちにはシアターオーブでつくった日英、日米の合作作品をアジアに持って行き、シアターオーブではこういうものをつくっているんですよというのを、アジアの多くの皆さんの懐で上映していただけるように話を進めています。来年度にはそこまでリーチしたいなと思っています。
こういった形でシアターオーブというのは渋谷にいながらにして自分がニューヨークやロンドンにいるような空間をつくるという活動を4年間にわたって務めてまいりました。これからは日本で作ったものをアジアに持って行こうという段階に入っています。とはいえ、我々の拠点はここ渋谷ですので、「ギャル文化」があったり、このような「ハイカルチャー文化」があったり多様な文化がある渋谷に足を置いて、こうした「ハイカルチャー」と言っていただける文化をつくり続けていきたいなと思っています。このように、いろんなものに取り組んでいますので、Bunkamuraのクラシックでもいいですし、シアターオーブのミュージカルでもいいですし、ぜひこちらのカルチャーをみなさん興味をもって観に来ていただきたいなと思っております。
この先、また南後先生がカルチャーの動きというのを教えていただけると思いますので、わたくしのご説明はこのへんで終わらせていただきます。ありがとうございます。(拍手)
川添:ありがとうございました。では、引き続き南後先生から、もう少し俯瞰的な立場から渋谷の文化についてお話しいただきたいと思います。
南後:よろしくお願いします。明治大学の南後と申します。専門は都市や建築の社会学です。
◆70-80年代の渋谷文化…「舞台化」の時代
海野さんのお話に「劇場」と「舞台」というキーワードがありましたが、簡単に70-80年代の渋谷の文化の動きについての話から始めていきたいと思います。
正確に言うと1968年に渋谷西武が出店しているので、60年代後半ということになりますが、70年代以前は東急が駅前を中心に百貨店を展開していたのに対して、西武が進出してきた。その後、東急 vs 西武という民間資本の競争によって渋谷の再開発が駆動されることになりました。象徴的なのは70年代前半にオープンした渋谷PARCOであって、区役所通りが公園通りという名称に変わりました。公園通りの「坂の上」にあるPARCOは、駅から人を上げないといけないわけです。そうするとたんに、点として、つまり店舗だけでやっていては人を集めることが難しいので、PARCOおよび西武は、点から線へ、線から面へと開発を展開していきました。区役所通りという名前を公園通りに変えたのも、線としての空間演出のひとつですね。PARCOはファッションを中心とした商業施設を開発、経営してきた会社ですが、ファッションというのは「見る-見られる」の関係が重要になります。「すれ違う人が美しい 渋谷公園通り」というキャッチコピーが有名ですが、「見る-見られる」の関係を公園通りにおいても展開しようとしたわけです。吉見俊哉さんの『都市のドラマトゥルギー』で指摘されているように、PARCOは渋谷や公園通り自体を、誰もが演者にも観客にもなり、「見る-見られる」のまなざしの快楽を享受する舞台として見立てるということをしたと言えます。
◆90年代の渋谷文化…「脱舞台化」へ
それが90年代に入っていくと、109やセンター街が注目を集め、先程浜田さんのお話にもあったようなギャルや「カリスマ○○」という人たちが出てきます。メディア環境も90年代後半から2000年代になってくると、雑誌やテレビからインターネット、ケータイに変わっていきます。インターネットやケータイが普及するようになると、あまり街を見なくなります。つまり、「見る-見られる」のまなざしの緊張関係が緩んできて、街が見流されてしまう。すると、徐々に渋谷が持っていた空間の舞台性が解除されていきます。北田暁大さんの『広告都市・東京』の言葉を借りれば、渋谷が「脱舞台化」していくことになっていく。渋谷にしかないようなお店が徐々に減り、以前は郊外にあった家電量販店なども出店してきて、渋谷が郊外化していきました。逆に、柏や大宮のような地元でまったりする、地元志向の若者たちが増えるようになりました。地元でも渋谷にあるようなお店ができて、それなりの物が手に入る、郊外の渋谷化が進んでいったのです。このように90年代後半にかけて、渋谷の脱舞台化が進んでいったことにより、国内や都内における渋谷のステータスは低下していったように思います。
◆現在の渋谷文化の主役…スクランブル交差点
しかし、2000年代に入ってくると、99年のQ-FRONTオープンからミレニアムのカウントダウン、2002年の日韓ワールドカップもあったりして、渋谷スクランブル交差点が大きな注目を浴びるようになりました。さらに、ビジット・ジャパンなどによって増加した外国人観光客も渋谷スクランブル交差点に強い関心を向けるようになりました。つまり、90年代になって、国内的には一旦、渋谷のステータスは下がったように見えるんですけれども、海外での知名度を踏まえるならば、むしろ渋谷のステータスは向上していったと言えます。つまり、2000年代以降、渋谷はスクランブル交差点を中心に「再舞台化」していくことになったのです。旅行ガイドブックで世界で一番の発行部数を誇っている『ロンリープラネット』の2006年、2008年、2010年の表紙を見てみると、直接的ではないんですが、スクランブル交差点を彷彿とさせるような写真が使われています。さらに観光庁が2014年に発表した、外国人がツイッターでつぶやいたツイートの分析によると、一番よく登場する地名が"shibuya"でした。さらにその渋谷と関連して一番よくつぶやかれるキーワードは "shibuya crossing"でした。つまり、2000年代以降、渋谷スクランブル交差点は東京を代表するシンボルや観光資源として、世界中から注目を集めるようになったと言えます。
◆スクランブル交差点の空間構造
渋谷スクランブル交差点が空間的に面白いと思うのは、建物のみならず大音量の音、すなわちサウンドスケープ的な囲いを含めた「包囲性」を感じることができる点です。広場という観点から考えてみると、西欧の典型的な広場では、市庁舎や教会などのモニュメンタルな建築があって、その前に建物で囲まれたオープンスペースの広場があります。このような空間的な形態を持つ広場は、日本にあまり見られないんですが、渋谷スクランブル交差点は、西欧的な広場の空間形態を備えているわけです。ただし、日本の広場というのは、祭りの日の参道のように、道や通りが一時的に広場化してきたという特徴を持っています。渋谷スクランブル交差点も、まさに道で、立ち止まることができません。つまり、渋谷スクランブル交差点は、道が広場化していくような日本的広場の歴史的文脈を持ちつつも、空間的形態としては建物に囲まれているという点で、西欧と日本のハイブリッド型の広場として位置づけることができるのではないでしょうか。
さらにQ-FRONT2階にあるスターバックスや渋谷マークシティの連絡通路からは渋谷スクランブル交差点を見下ろすことができます。すり鉢状の渋谷スクランブル交差点は、まさに舞台のような構造になっていて、観客として「見る」こともできるし、スクランブル交差点を歩いている時には演者として「見られる」関係になっています。渋谷スクランブル交差点は、1回の信号で約3000人が横断し、1日30万人から50万人が横断すると言われています。そうすると、幕張メッセや東京ビックサイトのような国際展示場で行われるメガイベントよりも多い人数が1日で行き交っていることになります。これだけの量を許容する渋谷スクランブル交差点の空間としてのポテンシャルはとても興味深いと思います。
これは、2015年のハロウィンの日に僕が実際に渋谷スクランブル交差点に行って撮った写真ですが、地面が見えないほどの人で埋め尽くされています。スマホやSNSの時代になり、先程の浜田さんのお話にあったとおり、互いに写真を撮り合って、それをSNSにアップする、むしろそれらの写真を撮るためにスクランブル交差点に行く人も増えました。一方で、これだけの巨大な空間で大勢の群集に囲まれているという身体的な熱狂や快楽は、物理的な空間でしか味わえないものです。つまり、「リアルな物理空間における時間と空間の共有の次元」と、「情報空間における他者とのコミュニケーションの次元」が重層しているのです。ちなみに、マークシティの連絡通路からは、行列をなして渋谷スクランブル交差点の写真を撮影する光景も見られました。
◆「舞台化」から「脱舞台化」そして「再舞台化」
ここまでの話をまとめると、渋谷は70-80年代にかけて「舞台化」し、90年代に「脱舞台化」していった。そして2000年代はスクランブル交差点を中心に「再舞台化」していったと言えます。このことを今日の"上下"というテーマに置き換えて考えてみましょう。70-80年代までは「坂の上」に人がどんどん移動していったわけですけれども、90年代以降、裏原やキャットストリートなどが台頭し、渋谷がどんどん周辺地域と越境化していったり、センター街のように「坂の下」に人がたまっていくことになります。2000年代のスクランブル交差点の再舞台化もその延長線上にあるわけです。文字どおり、人の流れや文化のウエイトは坂の上から坂の下へ「下流化」していったと考えます。これは階層や経済的な意味での下流ではありません。
◆立体化する渋谷文化の動き
では最後に、2010年代以降はどうなるのかということに関して指摘して終わりにしたいと思います。2010年代は、2012年にヒカリエがオープンし、2027年に向けて駅前再開発が進んでいます。先程PARCOの話をしたように、点、線、面というように広がってきた渋谷が徐々に坂の下へ人の流れが「下流化」していくなかにおいて、駅前にますます人がたまっていくことになる。スクランブル交差点は渋谷の地形の谷底にありますので。つまり点から線や面へと展開してきた渋谷が、再び点へと回収されようとしているわけですね。駅直結の渋谷ヒカリエもやはり点なわけです。それが2027年に向けて、どのように再び線とか面へと開き、回遊性を持たせていくのかということが、これからの渋谷の課題のひとつだと思います。さらに、もはや渋谷内の東急vs 西武といった対立ではなく、副都心線の開通にともなう、新宿や池袋を相手にした副都心間競争、リニア中央新幹線の整備や山手線の駅が1個増えることにともなう、品川・田町との地域間競争、さらにはアジアとの都市間競争というマルチスケールで考えていかなければならないだろうと思います。
では、坂の上から坂の下に移っていった文化の流れはこれからどうなっていくのでしょうか。このことについて考えるうえで示唆的なのが、2019年にオープンすると言われている、駅街区の展望施設です。これは、プレスリリースに掲載されていて面白い図だと思ったんですけど、屋上に展望施設があり、下にはスクランブル交差点が見える。つまり、人の流れが、地面とビルの上に分かれていき、新たな上下の関係が生まれてくるように思います。そうすると、坂の上から坂の下に、水の流れに喩えるならば、上流から下流に流れていった人の流れや文化のウエイトは、地面から上層へと多層化して分岐していくようになると言えるかもしれません。
◆多方向への展開が求められる時代へ
ここで提示したいのが「垂直と水平」、あるいは「塔と広場」というメタファーです。shibuya1000のウェブサイトで今回のイベントの告知ページを見ると、109が映っていました。109のシリンダー状の建物はまさに塔です。右下に小さく見えているのが、スペースフレームを使った広場です。109を見て僕がいつも思い浮かべるのは、1970年の大阪万博のお祭り広場なのです。大阪万博では、太陽の塔とスペースフレーム(大屋根)がありました。太陽の塔は、渋谷マークシティにも壁画がある岡本太郎の作品であり、大屋根は丹下健三が設計したものです。お祭り広場では、様々なイベントが行われたわけですが、そのなかには、阿波踊りやねぶた祭りなどがあり、見せ物として演じられました。つまり、祭りが土地から切り離されて、消費の対象としてのイベントになっていったわけです。しかも、お祭り広場では、そこに集まる人や群集自体が見せ物となった。これは今のスクランブル交差点の状況に通じるものがあります。コンピュータ制御されたお祭り広場と同様、スクランブル交差点でも、人々の振る舞いは信号によって制御、コントロールされています。また、現代のハロウィンのような商業化されたイベントの起源も、お祭り広場に見てとれるのではないかと思います。みなさんご存知のように、お祭り広場の大屋根は撤去されて、今は太陽の塔だけが残っています。建築の分野では、丹下健三vs岡本太郎、建築vs美術という対立軸において丹下および建築が敗北したという言い方がよくされるのですが、そういう見方よりも垂直vs水平、塔vs広場の対立として見たほうが面白いのではないかと考えます。というのも、「垂直」や「塔」というのは、"政治的な力"や"経済的な力"、あるいは"支配"という意味と結びついています。それに対して「水平」や「広場」というのは、"平等"、"連帯"、"横のつながり"ということを意味しています。
そこで、1970年の大阪万博の後、太陽の塔だけが残されたことは何を示唆しているのか考えてみると、水平の広場が負けて、垂直の塔が勝ってしまうっていうことなんですね。このことをこれからの渋谷の駅前再開発に置き換えてみると、大資本の経済的な力が強いものが勝つという、あけすけな事実を指し示しているように思うわけです。ただし、岡本太郎の太陽の塔が興味深いのは、大屋根を取っ払ったときに、横に広がった両手が見えることなんです。太陽の塔には、「垂直」と「水平」の両方がある。垂直だけではないんですね。このことを踏まえるならば、今後の渋谷においても、水平性として、連帯や横のつながりをどう維持、活用しいくかを考えていく必要があるのではないでしょうか。例えば、渋谷において異業種の人同士による横のつながり、年齢や性別を超えた横のつながり、あるいは日本人と外国人という人種を越えた横のつながりをどうつくっていくのかということを考えていくことも、これからますます重要になってくるのではないかと思います。
少し長くなりましたが、以上で終わります。ありがとうございました。(拍手)
川添:では、お二方からそれぞれの論点が少し提示されましたので、時間の関係もありますが、少しお二人でそれぞれのお話を聞いた印象ですとか、そこから広がるようなお話を少ししていただければと思います。ここからの進行は、お二方にお任せしてよろしいですか。
◆上下の人の流れをつくる
南後:では、僕から。アジアへの進出というお話は、単にブロードウェイやウェストエンドのものを輸入するだけではなく、それらを日本のミュージカルや演劇の人たちとかけ合わせて、アジアに輸出していくということですね。やはり2000年代以降、先ほど話しましたように、海外からの観光客が増えているわけですね。その中で、とくにアジアからの観光客が渋谷に来る目的の多くはショッピングです。そういう人たちをシアターオーブのある渋谷ヒカリエの"上"、それこそ"下"から"上"に足を運んでもらうことには難しさがあると思うのですが、その点に関して何か考えられていることや戦略があればお聞きしたいです。
海野:そうですね。さっきご紹介させていただいたように、シアターオーブではミュージカルをやっていまして、アメリカ、イギリスからくるミュージカルは言語が英語なものですから、英語であることの強みというものがあると思っています。例えばアジアのシンガポールだとか香港だとか、アジアから大勢の観光客が渋谷に来ていまして、そういう方にも楽しんでいただきたいなと思ってやっていたのですが、アジアからの観光客のお客様がミュージカルを見るということは、まだ思ったほど定着していません。もちろん、韓国語、中国語、いろんな言語で発信はしていますが、やっぱり日本に来て、いったんもう来てしまった、東京に来てしまったアジアの観光客の方には、きっともうプランがいっぱいあって、やっぱりお買い物を一杯したくて、東京に来てから、渋谷に来てから新しく気づいたものを、しかもミュージカルを見るという習慣がまだできていないのは確かです。実は、そこをなんとかしたいなとずっと思っているところなんですね。
ひとつ思ったのが、ミュージカルというのは、本当に共通言語で、きっと皆さん「雨に歌えば」とか名前ぐらいは知っているし、見たことがある方が多いと思うんですけど、アメリカやイギリスのものをそのまんま持ってきても、もちろん食いつく方もいますけれども、やっぱり食わず嫌いというか見ない方もいると思ったんですよ。
例えば、中国で食べる中華料理と日本で食べる中華料理で、日本人にとって、たぶん日本で食べる中華料理のほうがおいしいと思うんですけど、本来の中華料理の味は本国、中国で味わうものだと思うんですね。それを例えば日本の人の口に合う、ちょっと醤油を足すとか、何かこうアジア人のテイスト、日本人のテイストに合ったものをこちらでしたためたら、もっと日本人もアジア人も観ることができるものになるんじゃないかという発想がありました。なので、ミュージカルの本場で活躍している、すごく実力のある役者さんと日本のテイストを持った日本人の演出家とか音楽監督が一緒にコラボしたら、ちょっとこう隠し味に醤油を入れるような感じで私たちが見たいものがつくれるんじゃないかなと思ってつくったのが、我々オリジナルのミュージカルコンサートなんですね。
おかげさまで、見たいものがオンパレードのテイストに合ったものがつくれています。アジアの方もちょっと興味を持ち始めていただいていて、私たちが隠し味、アジアの隠し味を加えたものをアジアの別の国に持っていってしまおうと。シアターオーブってこういうことをやっているんですよっていうのを、彼らの懐の中で、もう飛び込んで、見てもらったら、逆に知っていただいたあと、渋谷に来たらシアターオーブに来てくれる、あるいは渋谷に来てくれるんじゃないかという、一歩一歩の草の根的取組みではありますが、彼らの懐に行こうという考えで、逆に渋谷に戻ってきていただけるような発想で考えています。
◆なぜミュージカル専用劇場をつくったのか
南後:都市自体が「見る-見られる」の関係を享受する舞台だと言える一方で、例えば、渋谷のPARCOにしても、オープン当時から"最上階"に西武劇場があり、ヒカリエでも"上の方"に劇場をつくった。ただ、ヒカリエの場合、シアターオーブは"上"でも"下"でもなく、オフィスフロアとショッピングフロアの"中間"というか、"間"っていうポジショニングが面白いなと思いますが。ところで、ニューヨークにせよ、ロンドンにせよ、どうして、都市においては劇場やミュージカルが重視されるのでしょうか。つまり、ヒカリエの場合、なぜ上層階にシアターオーブを設け、なぜミュージカルだったのかということについてお聞きしたいと思います。美術館など他の文化芸術施設ではなく、シアターオーブを置くことにはどのような狙いがあったのかについて教えていただけますでしょうか。
海野:個人的な感想というか個人的な考えになるのですが、よく「カルチャー」とか「芸術」というのは、人の心を豊かにするって言うじゃないですか。もちろん、展覧会や映画も含め、いろんなカルチャー、芸術があるとは思いますが、私としては、人が本当に感動し、人の心をわしづかみにするのは、ライブエンターテイメントしかないと思っています。映画って素晴らしいですけど、やっぱりスクリーン越しなので、今まさにそこで役者さんが演じているわけではないじゃないですか。やっぱり、目の前で人間がここまですごいんだって思わせるのは、ライブのエンターテイメントだと思うのです。
実は、その最たるものはオリンピックだと思います。世界中の何十億という人が、例えば100mの0.0何秒の戦いを観て、毛穴がよだつほどの感動を覚えるのですから。それを700席、2000席の劇場でお届けできるのがライブエンターテイメントの劇場ではないかと思っています。そのなかで、さっきもちょっとお伝えしましたが、ミュージカルって本当に敷居が高くなく(かといって低くもないんですけど)、みんなが入りやすい導入のカルチャーであると思っています。ビヨンセだってミュージカルに出ますし、マドンナだってアントニオ・バンデラスだってミュージカルをやっています。オペラはやらないですけど。それくらい、みんなのとっかかりがよいカルチャーがミュージカルなんじゃないかなと思っています。
◆ハイカルチャー側からみるスクランブル交差点という舞台
南後:僕ばかり質問して恐縮ですが、海野さんからは、例えば、渋谷のスクランブル交差点やハロウィンで起こっていることは、どのように見えていますか。スクランブル交差点は「舞台性」があるし、ハロウィンも「演劇的」なものだと思うのですが、それこそオーブのような「上から見る」と、どのように映っているのでしょうか。やはり舞台や演劇とは、別物として映っているのでしょうか。
海野:いや、今日の浜田さんのお話を聞いて、より確信したのですが、やっぱり渋谷って「舞台」だなと思いました。そこに劇場という"閉ざされた空間"と、あとスクランブル交差点という、世界が注目している"オープンスペース"に、ものすごい共通項があるのではないかというのが今日の感想です。「上から見て」みたいなのよりも、こっちの舞台も頑張っているけど、「そっちもすげーな」みたいな、それが渋谷のよさなんじゃないかなと思います。
◆劇場に求められる空間演出
海野:ひとつ私から質問です。先生がいろんな視点で、建物と文化と言いますか、ビルと文化みたいなことをお話くださいましたが、私は本当に劇場って"閉ざされた空間"だからこそ、空間の演出が非常に大事になると思っています。なので、どんなにいい作品を観てもらっても、なんかこう通るロビーとかがイケていないとすごく興ざめしてしまうだろうし、相乗効果もないんじゃないかなと思うのです。そういう意味で、劇場あるいは文化施設における空間演出はどんな役割を果たしていて、じゃあ私たちはこれからどうしていけばそれを上げていくことができるかなという点でアドバイスがあればお願いします。
南後:どういうターゲット、どういう顧客層を狙っているのかにもよると思います。つまり、シアターオーブであれば、年齢層が高めのご婦人が多そうなイメージがありますが、それだけではなくて、もっと若い層とか、そのご婦人の娘や旦那さんをどうしたら一緒に連れてきてもらえるのかを考えたときには、劇場という単一の機能しかないのは弱いと思います。お酒が飲める、ダイナミックな空間スケールの演出があるなど、例えばショッピングモールの原理を取り入れていくようなアプローチがあるといいなと感じます。シアターオーブも2階席のホワイエにお酒などが飲めるスペースがありますよね?
海野:はい、バーがあります。
南後:僕も、以前シアターオーブにダンスの公演を観に行ったことがあるのですが、そのバーの存在に気づかなかったんですよ。エントランスから1層目のシアター内に入って、公演が終わるとそのまま出ていくので、2層目にバーがあることに気づかず帰ってきてしまったのがもったいなかったなと。今日おっしゃっていただいた、富士山が見えることも知りませんでした。それらを目にすることなく帰ってきてしまったので、シアターオーブであれば、シアターオーブという文化施設が誇る空間演出を誰もが体験できるように、例えばテーマパークのアトラクションのような強制的な動線によって、より多くの人の目に触れるような仕掛けをつくることが必要かなと思います。
海野:意外に、劇場には知る人ぞ知るみたいな仕掛けがあるのですが、確かにそれが伝わりにくいのかなというのは反省すべき点ですね。ただ、特にシアターオーブについては、ヒカリエという大きなビルの中にあるので、ビルの中でお買い物もできるし、ご飯も食べられるし、さらにその上層階ではエンターテイメントが楽しめるという、それはそれで1つの仕掛けを持っているビルだと思っています。なので、ビル全体でエンタメを楽しむことができるのがヒカリエなんじゃないかなと思います。
南後:そういう意味では、ヒカリエの下層のテナントとの相乗効果というのは見られますか?
海野:オープン4年目を迎えますが、相乗効果を生んでいると感じています。
南後:わかりました。では、そろそろ時間ということですので、以上で話を終わりたいと思います。どうもありがとうございました。
海野:ありがとうございました。
- 海野 緑(㈱東急文化村シアターオーブ事業部部長)
南後 由和(社会学者・明治大学専任講師)
- @イベント&コミュニティスペース dots.