shibuya1000

Shibuya 1000_007 「シブヤ南北合戦」

2015年3月4日(木)18:00~

@8/COURT(渋谷ヒカリエ8F)

トーク03 「南からのシブヤ、北からのしぶや」

Mummy-D(ラッパー、プロデューサー)+DJ YANATAKE(ディレクター、DJ)
モデレーター:田村 圭介

プロフィール

Mummy-D(マミー ディー)RHYMESTER、ラッパー

1970年横浜市生まれ。ヒップホップ・グループ「RHYMESTER」のラッパー、プロデューサー。1989年グループ結成。ヒップホップ黎明期より、常に一線でシーンを牽引してきた。ジャンル外からの信望も厚く、椎名林檎、スガシカオなど多くのアーティストの作品に参加。最近ではドラマ、CM、ナレーションなどでも活躍。
http://www.rhymester.jp

DJ YANATAKE(DJ ヤナタケ)ディレクター、DJ、音楽ライター

レコードショップ“CISCO”のチーフバイヤーとして渋谷宇田川町アナログ・ブームの一時代を築き、DEF JAM JAPANの立ち上げやMTV JAPANに選曲家として参加するなどヒップホップ・シーンの重要な場面を担う。宇多田ヒカルのPR/発売イベントのほか、TBSラジオの「ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル」などにもたびたび出演。インターネット・ラジオ局block.fmの「INSIDE OUT」のディレクションやZeebraのレーベル、タワーレコードのUSTREAM番組も手掛けるなどマルチに活躍中。
http://extraclassic.net/yanatake/

田村:向かって左がMummy-Dさんになります。

Mummy-D:RHYMESTERというヒップホップ・グループをしていまして、日本のラップ・グループの中では黎明期から活動していて、RIP SLYMEやKICK THE CAN CREWなどが後輩です。よろしくお願いします。

田村:そして奥にいるのがDJ YANATAKEさんです。

DJ YANATAKE:よろしくお願いします。今はクラブのDJやラジオのディレクターをしていますが、90年代に渋谷でアナログレコードが盛り上がったことがあり、CISCOというレコード屋さんがあり、そこで働きつつ、今もDJを渋谷を中心に20年以上活動させてもらっています。よろしくお願いします。

田村:今日は南北という課題を与えられていますが、事前に3人で打合せをしました。その時たまたまMummy-Dさんが南から渋谷にやってきて渋谷を拠点に活躍されている、YANATAKEさんが北、王子の方からやってきて渋谷を拠点にして活躍されているということで、まずはお二人に今日の南からの渋谷と北からの渋谷を南はMummy-Dさんに渋谷との出会い、活躍されているお話しをしていただきたいと思います。

Mummy-D:僕は横浜出身の44歳です。横浜は東京から一番近い地方都市みたいなところがあって、当時は買い物に行くのも映画を観るのも とにかく横浜駅や関内周辺などでこと足りるので、横浜の人間は横浜からあまり出ないということもあって東京へは行かなくて。それでも小学校5年生くらいの時に親戚のおばさんに初めて渋谷に連れてきてもらった。横浜から東横線で来て、降りて、例のなくなったカマボコの駅舎で改札を出て階段を下るとクッキーの匂いがしてくる。そんなことはどうでも良いんだけど、その初めてスクランブル交差点を見たときの衝撃といったら、今ほど大きなプロジェクターもなかったと思うけど、上をすごい見て、「すげぇ何だこりゃ!」って。あんまり上見てきょろきょろするなって言われたけどやっぱりすごい衝撃だったね。たぶん109ができたてとかじゃなかったかな。マルキューなんて呼ばれてなくて、地下1階に定食屋もあったりして。女性だけが利用するような場所じゃなかった。

田村:それから渋谷に通うようになるんですよね。その辺の話としてはどうですかね。

Mummy-D:僕は何で渋谷にはまっちゃったのかなというのは、横浜からの最初の東京の入り口が渋谷というのもあるし、やっぱりずっと小学校の頃から音楽が好きで中学でヒップホップにはまってから、ブレイクダンスが好きになって。今もまだありますが渋谷のタワーレコードやYANATAKEが働いていたCISCOという老舗の輸入盤屋さんと、僕が高校生だった当時はWAVEも結構大きくて、いま西武の下は何か入っているのかね。

田村:セレクトショップが入ってますね。

Mummy-D:あの隣辺りにWAVEがあったけど、とにかくインターネットもない時代なので自分でそこに足を運んで並ぶレコードを見て「こんなの出たんだ」とか「この人達こんな顔してるんだ」とか「だっせー何この服」とか、情報を得に来るところだったよね。ヒップホップ・ファッションも今ほどどこでも買えるものではなかったので、ちょっと原宿寄りのDEPTストアに行ってちょっとやばい服を探しに行ったりとか。その辺から自分にとっての中心地になっていったのかな。

田村:それに対してYANATAKEさんの出会いって。

DJ YANATAKE:僕と渋谷の出会いは、実は今日彼女が来ているので言いにくいんですが、自分の記憶がある中でおそらく一番最初にデートに来た場所で、僕は北区の王子に住んでいますが、山手線で行くと田端から京浜東北線に乗り換えて2駅、そこからバスに乗り換える団地で生まれ育ったんです。なので一番小さい頃の遠出は池袋でした。でも渋谷に行ってみたいじゃないですか。若い人は知らないかもしれないけど、このヒカリエがあった場所は映画館とプラネタリウムがあったんです。そこにデートに来たんです。その恋は実らなかったんですが、それが最初ですね。

Mummy-D:何の映画を観たの?

DJ YANATAKE:Howard the Duckです(笑い)。知らないですよね。

田村:その後、音楽関係についてはどうですか。

DJ YANATAKE:僕も音楽に興味を持っていて、特にヒップホップがすごく好きになった時に、今はインターネットで何でもどこでも情報をゲットできますが、インターネット以前の話になるととにかく情報は殆どなくて、毎月月刊のファッション誌を買っても1ページ載っているかいないかぐらいしか僕たちの好きな音楽の情報は得ることはできませんでした。新しい曲をチェックするには、やはりレコード屋さんに行かなくてはいけなくて、足繁く学校帰りに渋谷まで来て、昼ご飯代を千円もらったときは昼ご飯を我慢して渋谷でレコードを1枚買って、レコードを見ながら電車で何時間も掛けて帰ることをずっとしていました。

田村:今レコード店がなくなってきて、東急ハンズの裏。当時のお二人が最も盛り上がっていた頃のレコード村について、どういう感じだったのかお話しを聞かせていただきたいです。

DJ YANATAKE:ご存じの方もいらっしゃると思いますが、渋谷の東急ハンズの奥辺りを宇田川町をレコード村と呼んでいました。全盛期はマンションの一室のような店も入れると200~250件ぐらい、その狭い地域密集していて、実は世界一のレコード屋街としてギネスブックに載ったことがあるそうです。それぐらい盛り上がっていた地域で、海外アーティストのDJがその街にレコードを買いに来ることもよくありました。

Mummy-D:有名なDJがここからここまでと言って棚ごと買うんだって。当時はそのぐらい全世界のレコードが集まる場所だった。ヒップホップの盛り上がりは大体1990年代後半から2000年代前半。その前はシブヤ系という音楽が流行っていてクラブミュージックを中心とした盛り上がりができてから、みんな渋谷でレコードを買って、そのレコードのバッグをぶら下げて歩くことがちょっとしたステイタスになっていた。「あいつはCISCOで買ってるんだ」「あいつはタワーだな」とか、そういうのがあった気がします。

DJ YANATAKE:当時のレコ村の状況がありますが、今はどうなっているんでしょうか。上野だったら動物園、アメ横、ファミリー向けとか、新宿なら夜の飲む街とか、渋谷は何がナンバー1何だろうと思ったら、やっぱり音楽の街で。最近アナログ・レコード復活の兆しもありますが、レコード村自体はなくなってしまいました。ですが、みなさんご存じの渋谷のタワーレコードは世界で一番大きな規模のCDショップなんです。実はもうニューヨークに行ってもタワーレコードはありません。もはや日本のタワーレコードは独特な展開なのです。そういった意味では実はあまり昔と変わっていなくて、日本は特殊なCDの売れ方をしていて、今でも有名なDJが来ると、こんなすげぇCD屋があるんだとレシートを自慢するほど買いに来るのが渋谷のタワーレコードです。

田村:まだ音楽の中心が渋谷だって言える。

Mummy-D:僕らはヒップホップに関して一番詳しいから他のジャンルはよくわからないですが、所謂レコ村的な文化が廃れつつあっても、クラブやライブハウスはどうしたって渋谷が中心なんです。ちなみに当時 所属していたレコード会社の事務所が渋谷公園通りの途中にずっとあって、デビューする前は桑沢デザイン研究所に少し通っていたから、その時も公園通りを上っていた。最近はちょっとNHKでお仕事させてもらったり、最近は僕のグループが移籍したレコード会社のビクターのビルが渋谷にあったり、レコーディングスタジオも渋谷だったりで、はっきり言って渋谷に飽きてるの。それでもやっぱり中心は渋谷なんです。

DJ YANATAKE:CD屋さんやレコード屋さんもそうですが、それ以上にライブハウスやクラブがおそらく日本で一番の都市だと思います。ライブハウスのイメージもありますが、今クラブと言われているところが、実は昼間もオープンしています。そういうところで、例えば秋葉原で見るアイドルの人たちも渋谷でもやっているんです。それだと数が多くてライブハウスとしての渋谷が今すごく盛り上がっていると思います。クラブも所謂デイイベントというものです。

田村:若い子たちが安全に来れるような。ある意味健康的というか。ライブハウスの数は増えているんですか。

DJ YANATAKE:そうですね。平日でも行列で盛り上がっています。

田村:円山町界隈。

DJ YANATAKE:そうです。

田村:何人ぐらい収容できるんですか。

DJ YANATAKE:大きいところでも300ぐらいですかね。

Mummy-D:SHIBUYA-AXはなくなったけど、あれくらいのものができるともっと集まると思います。

DJ YANATAKE:昔のバンドブームの頃は公園通りを上っていくイメージがありましたが、有名なライブハウスeggmanは300人ぐらいです。それより売れると渋谷公会堂を目指す、それが坂の1つ上です。渋谷公会堂が2,000 人ぐらいです。もっと上に行くとNHKホールが3,500人、その上が代々木第一体育館が1万人クラス。あの坂を上ろうみたいなことがバンドブームにはあったと思いますが、今は2,500人規模のライブハウスがなくなってしまったので、渋谷は300人ぐらいで盛り上がっています。なかなか次に行くまでの道があまりなく、お台場にとられている感じです。

田村:これからオリンピックに向けて渋谷の文化をつくる上では、ライブハウスを増やすことが一つの可能性としてありますかね。

Mummy-D:渋谷にはちょうどいい箱がないんですよね。2,000人ぐらいですかね。O-EASTよりは大きく。渋谷公会堂になるとスタンディングではないのでおとなしい感じになってしまう。

DJ YANATAKE: CDも売り上げがなかなかできにくいなかで1万枚売れると凄い時代なんですが。やはりそこを超えた人でも目指すのがZeppなんですよね。それがお台場で。最近は六本木にもできました。渋谷は音楽のナンバーワンの場所であってほしいです。だからそういうものができるといいなと思ってます。

Mummy-D:CDはどんどん廃れていっても、それに反してライブの集客は増えていくらしいです。生で見なきゃいけないものはコピーできないから。

DJ YANATAKE:先ほどは洋服の話がありましたが、僕もすごく感じるとことがあって、本当にインターネット時代になってしまうと、どこでも何でも買えるようになったので、その土地からそういう観点で生まれる文化が生まれずらくなっていると思います。でもそこでしか体験できないライブはインターネットではつかめないので、それが今、渋谷で盛り上がっているのはすごく嬉しいことです。

田村:面白い話になってきました。例えばお二人がライブハウスなど専門以外で渋谷にあったらいいと思うものはありますか。

Mummy-D:個人商店がなくなってきていて、大人が食べる美味しい飯屋が 僕の好きなところからなくなっている。

DJ YANATAKE:でも道玄坂に個人の定食屋さんはつくりにくいですよね。仕方のないことだけど大きい資本が入ってきて、どこに行っても同じというか。ご飯屋さんもファストファッションの店も必要ですが、渋谷じゃなきゃみたいなものがなくなってきている気がします。

あと今欲しいと思っているのは映画館です。マニアックな映画を細かく上映するシネコンは素晴らしと思うし、たぶん今渋谷が一番多いと思いますが、それに比べて大きい映画館が弱いと思います。

Mummy-D:何席ぐらい。

DJ YANATAKE:新しい映画のシステムでIMAXという迫力あるシステムが流行っていると思いますが、今度、新宿と池袋に大きな映画館ができます。Twitterなどで盛り上がっていますが、渋谷はまだその予定もおそらくない。ヒカリエができる前はもともと映画館だったので、そうならなくて。今の若い子は最初に渋谷に大きなタイトルの映画を見に行く感じがないと思います。なので良い映画館ができるといいなと思っています。

Mummy-D:インターネットの出現で渋谷に出てくる必要がなくなっているのかもしれないけど、あの2分何十秒を利用するスクランブル交差点の祭りに行きたいんだ。原宿は今カワイイ文化で盛り上がっているけど、やはりあちらはファッション文化の中心だと思うから、渋谷は音楽でありもっと雑多な感じを生きたコンテンツをプッシュできれば渋谷がやっぱり面白いということになると思う。

田村:渋谷は文化的に廃れたと言われるけど、お二人の話を聞くとすごい可能性のある感じがして面白いです。

Mummy-D:僕は本当に渋谷に飽きてるんだよ。渋谷で仕事をしていて夜中に終わることが多いので渋谷からタクシーで4,000円で帰れるところしか、もう住めないです。下町ライフを味わってみたい。

DJ YANATAKE:打ち合わせんなんて100%渋谷です。

田村:話は尽きませんが時間になってしまいました。最後に一言ずついただけたらと思います。

Mummy-D:YANATAKEと同じだと思いますが、これだけは言っておきたいのが、クラブやヒップホップなど音楽のイメージもそうですが、クラブという場所がいろんな犯罪や悪の温床になっているような先入観をみなさんお持ちだと思います。実際に危ない一面があることも否定できませんが、先ほど話したように、どちらかというとオタク気質な音楽好きがつくってきたのが渋谷の音楽文化であり、僕らが見てきたクラブシーンは本当に音楽が好きで、その日渋谷で買ったレコードを渋谷のクラブで掛けて踊る、もしくはクラブでDJが掛けていたレコードを見て、それを翌日渋谷のレコード店に買いに行くとか。本当に音楽を心から愛しているものたちがつくってきた文化です。風営法の問題もありますが、そこから生まれてくるものもすごく多いと思うので理解と愛を示して大事にしていただきたいと思います。

DJ YANATAKE:同じくクラブに関しては、僕もそこで生活していますし。セキュリティチェックも厳しいですし、実はすごい健全なんです。先ほどハロウィンの映像が出ましたが、遊び方を知らない子たちが出てきて、あの日はワールドカップより大晦日より本当にすごかったです。道ばたで呑んでその場で寝ちゃったりとかしてる子が多くて驚きましたが、クラブに行けばちゃんと健全に守ってくれるスタッフもいるし、いくら騒いでも良い、そういう静と動が整ってきていて。前回もここでTAKU TAKAHASHIとFantastic Plastic Machineの田中さんもお話ししたと思いますが、風営法の問題があり、今は改善に向けかなり前進して、ラッパーのZeebraさんやDARTHREIDERが中心となってクラブとクラブカルチャーを守る会をしています。例えば朝方、円山町界隈のクラブ街を掃除したり、イメージを良くしようとしている動きがたくさんあり、むしろ健全に遊べる場所と思っていただいて間違いないぐらいのクラブシーンをつくっているところです。本当に楽しい場所なので一度は遊びに来てもらえると。東京オリンピックに向けて、海外の人が来たときでも、日本のクラブの良さを訴えられるのは渋谷からだと思うので、僕らの活動を見ていただけたら嬉しいと思います。ありがとうございます。

田村:ありがとうございました。

 

Mummy-D(ラッパー、プロデューサー)
DJ YANATAKE(ディレクター、DJ)
田村 圭介
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