shibuya1000

Shibuya 1000_007 「シブヤ南北合戦」

2015年3月4日(木)18:00~

@8/COURT(渋谷ヒカリエ8F)

基調講演「都市計画は渋谷的状況を生み出せるのか」

三浦 展(社会デザイン研究者、カルチャースタディーズ研究所主宰)

プロフィール

三浦 展(みうら あつし)社会デザイン研究者、カルチャースタディーズ研究所主宰

1958年生まれ。消費社会、家族、若者、階層、都市などの研究を踏まえ、新しい時代を予測し、社会デザインを提案している。著書に、80万部のベストセラー『下流社会』のほか、『第四の消費 つながりを生み出す社会』『日本の地価が3分の1になる!』『東京は郊外から消えていく!』『ファスト風土化する日本』『新東京風景論』など多数。

みなさんこんばんは。三浦でございます。こう見えても私は30年前、20代の頃は渋谷にある会社に毎日勤めいていた訳ですが、30年経ち、これから渋谷がどうなるかについては、個人的にはどうでもいいです(笑)。ただ、30年前毎日働いていたので、多少愛着はあります。

これからの渋谷がどうなるのか。またビルがいっぱい建つらしいですが、あまり私はでかいビルが好きではなく、ここもビルの中ですが、本当に面白い方向に行くのかなということも少し疑問に思ったりしています。基調講演というと堅苦しいですが、今日は最初に敢えて厳しめの話をして問題提起とさせていただきたいと思います。

「南北問題」とググりますと、こういう画像が出てきまして、通常は世界の北側に先進国、豊かな国があって、南側に貧しい国があるよと、こんな図が出てきます。次に、南半球の方が人口が遙かに多い、でもGDPは北半球の方が遙かに多い、ちょうど反比例していて、一人当たりの格差がこのくらいあるよと。

こういう「南北問題」と今日の渋谷がどのような関係があるかというとないんですが、こじつけて考えると、ないこともない。スライドに最近の私の考えを書いてありますが、都市にはどんな魅力があるのか。先ほども川添さんがおっしゃったように都市といっても都市というものはないんです。ビルがあったり、人がいたり、道路があったり、看板があったり、イルミネーションがあったり、いろんなものがうごめいていて都市になっている訳ですが、その都市の魅力は何だというと私は個人の自由があることだと思っています。

ところが今、東京あるいは世界的に起きていることは、都市が不自由になっている、箱になっている、箱に閉じ込められるようなまちづくりが生まれているんじゃないのか。大きな箱をつくって閉じ込めて、そこに住んで、そこで働いて、そこで物を買ってくださいと、そこから出ないでくださいという都市計画が進んでいるような気がします。

私が最近一番嫌いなのが品川の東口、もう最悪です。関係者の方がいるかと思いますが、品川の東口は大再開発されたので勤めている方がいっぱいいて、私も今まで4人会いましたが、全員がここは嫌だとおっしゃる。そのうちの一人は某有名なゼネコンの方で実際にその開発に携わってきた。携わってつくったビルで働くのが嫌だという。それは不幸ですね。

今日の私の考えとしては、その箱化する動きが北側の動きである。私はそういう箱はいらないんじゃないのか、そんなにつくらなくていい。つくるなら箱の外との関係をどうするかよく考えてねということです。

都心、郊外、地方の図式を外そうと書いてありますが、都市と都会は違うと思っています。今日の議題だと、都市が南、都会が北で、大きな箱の中に住む場所も働く場所も閉じ込める動きというものが北の都会の動き。箱から出たい、自由に生きたいという動きを都市的な南的な動きというふうに仮定してみたいと思います。 グーグルで「都会」という言葉を入れて、画像を表示してみて下さい。全部高層ビル、特に夜景が出てきます。「都市」で検索すると大体同じです。やや昼間が多くなりますが大体高層ビルが出る。同じですね。おかしいなと。僕は「都市」と「都会」は南北というくらい違うという仮説に立っていますがグーグルの画像は違わない。検索ワードが悪かったかなということで「都会的」と検索すると、高層ビルもあるが、パーティーに行く人やモードなファッションの人、高級ホテルのラウンジのような映像や、高級マンションのリビングルームみたいなものが出てきます。「都市的」はどうかというと全く違うんです。何故かアニメが多い。何故アニメ的な画像が出るのか。私は知らないが、そういうタイトルの漫画があるんでしょうか。もう少しやってみようということで「都会的な風景」というと、やはりビルです。橋があったり、車が見えたりします。では「都市的な風景」というと、これが何故かバーチャルなんです。全部CGでつくられた画像になってきて終末感が漂います。都市が洪水だとか、凍りついているとか、あるいはサイバーパンク的ななんだか怪しい雰囲気だったりします。未来的ではない、古代的な風景が出てきたり、アニメが出てきたりします。更に「都会的ライフスタイル」で検索すると高級ホテル、BMWで走ってみたり、高級な革のソファーが出てきたり、綺麗なお姉さんが出てきたりします。いわゆるマンション広告の世界です。 では「都市的なライフスタイル」。何故か帽子とリュックが出てきます。不思議です。帽子をかぶってリュックを持つと都市的なライフスタイルの人だとグーグル的には言われるんですね。今日はラッパーとDJの方もいますからぴったりです。

まだ私は納得しないので「都会の暮らし」と。やはりビルの夜景が出てきます。綺麗なお姉さんも出てきます。何故か田舎も出てきますが、これはきっと都会の暮らしに飽きた人が田舎で暮らそうという検索が多いんでしょうね。

「都市の暮らし」はどうか。本ばかり出てくるが、ついに立ち飲みが出てきます。今日のこういう場所のように人が集まってトークショウをやっている、あるいは赤ちゃんとお母さんがいる。つまり人が集まった場所が出てくるということです。

このように「都会」と「都市」の違いというのは一見似ているが多角的にググると都市の本質は人である。その人がたくさんいて一緒にお酒を飲んだり、会議をしたり、子どもを育てたりしている。こういう違いが都市と都会の言葉にあるのではということが見えてきます。

私はこの東京のまちをあるいは渋谷を都会的にしていくトレンドがあるとしたら、それには全く関心がない。そうやって変わっていく渋谷になるとしたら二度と来ないだろうと思います。しかし、もっと都市になっていくのであれば、来てもいいかなと思うわけです。

つまり北、箱的な都会と南的な都市の対立はハードとソフトの違いであったり、お金が掛かりそうな世界と安くて気軽なイージーな世界であったり、あるいはものを消費する場所に対して人が付き合って行く場所、あるいは管理や排除する世界に対してオープンな開かれた場所、あるいは私有的な価値観が支配する世界に対してシェア的な価値観が強い場所、そういう対比ができるのではないかと思うわけです。

本来、渋谷というのはスリバチ的な地形、駅の一番低いところから360度見回すと私の計算では13叉路13の谷が伸びています。非常に中世のスペインのトレドみたいな街を思い出しますが、特に円山町は、あまり詳しいと誤解されますが、中世のスペインの都市のような南方型の都市に見えます。しかし、そういう渋谷に北方的な都会性が拡大して来ている。これからもどんどん北方型になりそうだという。それでいいのか、もっと良くなるのかというのが私の問題提起です。

私はこの北方性が強くなってくるとまちは面白くなくなると思っていて、北方性から排除されたものが箱の外にあふれ出ていくだろうと思います。あるいは、もう渋谷では南の人間は生きていけないということで他のまちに移動しようなんてことも起きるのかもしれない。もしそうなったら渋谷は品川東口のようなつまらない場所になるだろうなと思っています。

ここで私が最近、近代都市計画の成功例と思っているまちを紹介します。それはなんと松戸です。都市計画の先生が松戸を見ると、これは都市計画の失敗だということが多いのではと思いますが、私はどうみても成功例だと思います。

松戸は駅を出るとペデストリアンデッキで遠くまで行けます。このペデストリアンデッキで四方八方のビルをたくさん繋いでいるわけです。ビルとビルをデッキが繋いでかなり遠くまで行きこともできます。大学までデッキで繋がっています。スーパーマーケットまでも繋がっていきます。

これは明らかに1930年代に想像された未来都市の姿なんですね。近代都市の姿です。車が走るところと人が歩くところを分け、ビルとビルを道路とデッキで繋いでいく。歩道がずっとある。車が走っている。まさに松戸です。ゼネラルモーターズが1939年のニューヨーク万博で展示したフューチャラマの風景です。1930年代の未来都市像を実現した、まさに近代都市計画ではないかと思うわけです。

そして現実の近代都市松戸のペデストリアンデッキの先にはこんなものがあります。パチンコ、スロットにそのまま入っていくことができます。ジャングルクラブのコンパニオン募集の中にもペデストリアンデッキで入ることができる。これは、猥雑な都市性が北方的都市計画の都会の行く先に立ちはだかっている非常に面白い風景だと思います。

もちろんこれは皮肉で言っているのです。近代都市計画なんて、そんなもんだということです。でもね、松戸は近代都市計画の成功例ではないという方は、それが松戸だからそう言うんです。パチンコやコンパニオンにつながってしまったから失敗だと言うにすぎない。渋谷にビルとデッキと通路ができて、デッキがスターバックスにつながれば都市計画の成功だというに違いない。

でも、コンパニオンにつながった松戸は都市の失敗だということでは断じてないのです。本当の都市は、つまらない近代都市計画を必ずはみ出す。はみ出す力を持たないのは箱の中の無菌の都会にすぎない、そんなのは都市ではない、まちではない、ということを私は今日言いたいのです。

ということで、ちょうど時間になっていますが、今日の基調講演の問題提起としては渋谷に新しいビルをつくり、新しい都市化を目指してはいますが、本当にそれは都市なのか。単なる都会的なものに過ぎないのではないのかということです。

松戸の例ではパチンコ屋さんやキャバクラみたいなものしか出てきませんでしたが、それだけが南方的なものという訳ではなく、北方的な箱的な世界からはみ出していく、計画したとおりにならない、非常に創造的でクリエイティブでエネルギッシュなものだからこそはみ出していくと思うんです。そういう計画不能なエネルギーと協調しながら渋谷というまちが今後動いていくのか、それともただ南方的なものを排除した単なるつまらない箱になってしまうのか。こういう問題をこの後のみなさんのお話しの中でも少し念頭においていただいて議論を進めていただければと思っています。

以上で私のお話を終わりたいと思います。どうもご静聴ありがとうございました。

 

三浦 展(社会デザイン研究者、カルチャースタディーズ研究所主宰)
Atsushi Miura
  • @8/COURT(渋谷ヒカリエ8F)
  • @LA LOBROS(渋谷ヒカリエ7F)