shibuya1000

Shibuya 1000_007 「シブヤ南北合戦」

2015年3月4日(木)18:00~

@8/COURT(渋谷ヒカリエ8F)

トーク02 「渋谷を支える“ストリート”の力!」

尾関 憲一(NHKエンタープライズ エグゼクティブ・プロデューサー)

プロフィール

尾関 憲一(おぜき けんいち)NHKエンタープライズ エグゼクティブ・プロデューサー

1988年早稲田大学教育学部国語国文学科卒業、同年NHK入局。「ブラタモリ」「東京カワイイ☆TV」「熱中時間」「スタジオパークからこんにちは」などを担当。著書『時代をつかむ!ブラブラ仕事術』(フォレスト出版)が発売中

今日はよろしくお願いいたします。NHKに入ったのは1988年、昭和63年なので今25年を少し過ぎたところで年齢的には今年の5月に51歳になる世代の話として聞いていただければと思います。番組としては紹介していただいた「ブラタモリ」「BSマンガ夜話」「BSアニメ夜話」とか、ちょっとそういうサブカルチャー的なものや、衛星放送で「熱中時間」といういろんな趣味人を紹介する番組をやったりしていました。ファッション系になると「東京カワイイ☆TV」という女の子のカワイイカルチャーを紹介するものをやっていまして、現在はNHKエンタープライズという関連会社に出向している立場です。毎日の生放送「スタジオパークからこんにちは」という13時05分から13時50分のトーク番組を担当しています。明日も生放送があり、「マッサン」の玉山鉄二さんがゲストで来ますので、昼のためお仕事中の方もいらっしゃるかもしれませんが見ていただければと思います。

僕自身の仕事場がNHKであるということで、渋谷は親しみのある土地なんですが、それ以前、学生時代から割と原宿、渋谷が大好きでいつもうろうろしていた土地でもあります。

大学に入ったのが1984年、1983年に浪人で群馬から出てきて、その後は時間があれば原宿、渋谷をぐるぐる歩きながら、東京はなんて素敵なまちなんだろうと思いながら見ていました。それからほぼ30年間変わらず同じような動きをして見てきたものですから、その経験が定点観測的にみなさんに面白がってもらえるのではということの一部を今日はお話ししようと思います。

今地図が出ていますが、今日お話ししようとしているエリアは、原宿駅があり、竹下通りがあります。こちら側に明治神宮がありますが、明治神宮は「ブラタモリ」でも取り上げましたが、明治天皇を祀るためにその時代に人工的につくった森であり、知っている方がいたら重複で申し訳ありませんが、ベーシックなことでおさらいということで・・・、何もないところに全国から良い木を集めて神宮の森をつくったということです。その中にもともと水が湧いているところがあり、その流れ出した水の一部は渋谷川として原宿駅の下を通り、竹下通りの方向にいき竹下通り裏のブラームスの小径の下を流れているらしいです。そこを通って明治通りを渡って、おもちゃ屋さん・キディランドの横を通った遊歩道・キャットストリートの下を流れて渋谷駅まで来て、渋谷駅の南側からは渋谷川が見えるように流れていますけれど、そういうふうに水が辿っていたところです。原宿のこの位置から南に下りて渋谷駅まで、これが僕がいつもうろうろ歩いていたエリアでもあります。穏田神社とありますが、穏田というのは昔のこの辺の地名です。基本的に原宿駅から渋谷駅エリアの縦の話と思って聞いていただければと思います。

「ヒカリエ」のことも一度「ブラタモリ」で取り上げまして2011年にロケをさせてもらいました。その時は、建設中で骨組みだけが立っており、そういうところは危険なため普通はあまりロケをさせてもらえないのですが、そのときは特別に入れていただき中を見せてもらいました。この高さは割と高い感じがしますが、4,5階の高さは実は渋谷の北の方だとそこが地面の高さだと聞きました。いかに駅の辺りがズドンと下がっているかということかと思いますが、今いるところはここから上がると結構上ですが、ちょっと南北に行けば割とその辺が地上の高さ・・・、それを象徴するのが渋谷駅で地下鉄が一番上に出ているということです。地下鉄なのになんで一番上かという疑問で最近はかなり浸透してきましたが、他の地面では地下を走っているものがそのまま平行に走ると渋谷では土地が低いために上に出てきてしまうと。鉄道は上り下りが非常に苦手な交通機関ですので、あまり上下する造りをしたくないため、そのまま上に出てきている状態で設置されており、今でも地下鉄が一番上ということです。

そんなふうに「ヒカリエ」と明治神宮の原宿駅辺り、番組でも触れているそのエリアを僕が大学時代からその後にかけてうろうろしていたことについての話を、家の段ボール箱をひっくり返して当時このエリアで買った服がいろいろ出てきたのでお見せしながらお話しをしようと思っていて、こんなことがみなさんの参考になるか?ですが一応持ってきたので見てもらいたいです。

まずはトレーナー。これはチェッカーズの1986年に行われたフラッシュツアーのものです。これは竹下通りを駅から下りて入った右側辺りにあった洋服屋さんのものです。(手に持って見せて)こういった感じの、女の子が主に買っていたものだと思いますが、プリントがドンと出てくるのはその時代なんです。それよりもう少し前には大きい文字がいっぱい入るデザインがあまりなく、この頃からだんだん出てきた。今は普通になっていますが、当時はかなり新鮮だったので、僕がチェッカーズファンだったこともあり、それがお店で買えるということで押さえていた一品で、何度も転勤や引越を繰り返す中でも生き残ったものを掘り出してきました。

それから「ヒステリックグラマー」というブランドがあり、1984年にスタートして、このトレーナーは1985年に買ったものですが、竹下通りの途中の南に入ったところにお店がありラフォーレにもありました。当時は赤青白を使ったトリコロールのコレクションが発表されていて、1万円台はして学生の僕にはすごく高かったです。大事に着て今もとってあるものです。裏はこのままです。幅が広くて丈が短いのは当時のデザインで、今はすごいタイトになっているので、こういったシルエットはかっこ悪いといわれますが当時はかわいいといわれていました。

同様のトリコロールのシリーズで、ボディ前面に文字が書いてあります。これも文字がバンと出るのは当時すごく新鮮で、大きい文字をこのように配すデザインは今見ると普通、当時は斬新なデザインの服でした。これも当時で1万円前後はしていたので、思い切って買って今もとってあります。その頃は「DCブランド」という言葉で、国内のいろんなブランドブームがありました。基本は女性がそういう服を買っていましたが、僕が買っているちょうど1984年1985年辺りから男子が買うようになり、男がバーゲンに並ぶということがニュースになったのがその時代です。丸井でセールをすると行列ができるようになったということがあり、原宿の竹下通り付近は、そういうお店が結構ありました。それとラフォーレがあったものですから、そういうものが好きな人は原宿に行って。今も残っている「ヒステリックグラマー」は、当時はアメカジを基調としたデザインで、今はロックテイストのブランドに変わってきていますが息の長いブランドで、その頃お店があった他のブランドの多くは現在は消滅しています。

駅から竹下通りを抜けて来ると明治通りに突き当たります。そこを右に行くとラフォーレがあります。ラフォーレの隣に下が銀行だったビルが角にあり、その2階にトラッド系の「クルーズ」というお店があり、これはそこのトレーナーです。ベーシックなボタンダウンのシャツや、いわゆるトラッドやプレッピースタイルをやっていたところで、今的には非常にきちっとした格好の服がそろうお店でした。このロゴ入りトレーナーは今、発見するのが非常に難しいアイテムだと思います。

原宿は竹下通りがにぎやかさの中心でしたが、ラフォーレができたことで明治通りのところにお店がいっぱい出てきます。今はかなり変わりましたが、ラフォーレの向かいの天ぷら「てんや」がある辺りに「プレッピィ・カンパニー」というお店があり、これはそこのトレーナーです。1986と書いてありますので85年の秋冬コレクションです。86年にまたがって着られるようにと出したトレーナーです。当時はどのブランドもトレーナーを出すことが割と中心になっていて、そこにブランド名が出るという基本の形です。襟にV字の汗止めが付いていて、これはビンテージのディテールです。今は復刻のトレーナーがいっぱい出ているので、こういったディテールを再現するのは当たり前になり、すごく安いカジュアルなものにも付いていますが、これが出た85、6年はこういう工夫はすごく珍しく、凝っているなーと思い買って着ていたアイテムです。脇のところに伸縮性のある生地の切り替えがあるのもそのひとつ。その後いろんな復刻メーカーが出てきて、昔のアメリカの古いスウェットシャツを細密に復刻することが一般的になったので、これは走りになった1枚です。

竹下通りから来て、そのまま明治通りを渡って直進していきましょう。そのエリアは1990年代に裏原ブームと言われ、数々のインディペンデントのブランドが出てきたところです。その中のものをいくつか持ってきました。それを牽引したブランド「GOODENOUGH」は、そこにお店があったわけではありませんが、裏原ブームの先頭にあって藤原ヒロシさんが関わっていたブランドです。このブランドがあったことで後に「BATHING APE」が出てきて日本のこういったシーンが盛り上がります。この「GOODENOUGH」のTシャツも、一時は価格が上がっていて古着価格が5万円くらいしていました。欲しい人が多かったモデルです。今は少し価格が落ちていますが、古いものは相変わらず人気があります。

今の竹下通りを渡った道をまっすぐ行って裏原に入った最初の角を曲がって右に行くと、プロペラ通りといって昔のウェンディーズにむかう細い道があります。そこの角に「ダウンオンザコーナー」というお店があり、これは90年代のもので、ギターをデザインしたトレーナーです。とても当時新鮮でした。商品を出すとすぐにみんなが買って店が空になってしまうような感じで、一時期人気のあったショップブランドです。裏原ともデザイナーズブランドともちょっと違うスタンスで、今これをやっていた方はヘンプやエコ系のウエアに行っているので、そういったネイティブアメリカンの人たちのスピリッツを伝えるような服をつくる感じだったショップでした。

ルートをおさらいすると、竹下通りを直進、明治通りを渡ってそのまま直進、最初の角を右に行き、昔ウェンディーズのあったところに出てきます。角には今は4℃というアクセサリーのお店があります。この通りはしばらくの間「プロペラ通り」と呼ばれていて、それは「プロペラ」というお店が88年にこの通りにできていたからなんですが、これはそのお店が10周年記念に出したときのものです。「プロペラ」はこの後5年ほど残り、なくなってしまいます。ここはアメカジ中心のお店でした。ベーシックなジーンズやシャツやトレーナーやグレゴリーのバッグとかを置いていましたが、裏原宿のブームがあってストリートウェアがどんどん出てくる中で、このようなベーシックなものが生き残れなくなってしまったようです。このお店ができた88年当時は、あのエリアにはお店が殆どありませんでした。すごく街から外れたところにつくって、わざわざ来てもらおうとオープンしたのが「プロペラ」というお店なんですが、人がどんどん来るようになって逆に存在意義が薄れてきたことで撤退したのかも・・・。これは、このお店の名前が入ったインディゴ染めのスウェトシャツです。

会場:ちなみにいくらなんですか。

これは定価1万後半ぐらいはしたはずなので。「alf」というアメリカのアウトドアメーカーのものにプリントを施しています。インディゴ染めなので、そのままプリントが載らないため、文字を漂白する「抜染」というプリント手法で字が入っています。

プロペラ通りから表参道に出ます。その一本横にキャットストリートが走っていて、今はお店がいっぱいありますが昔は住宅街でした。そこを南に渡ってKIDDY LANDの横を行くと、くねくねと細い道が続いて完全な住宅街です。渡る手前に「Ralph Lauren」の大きなお店があります。2000年以降にできたと思いますが、僕は「Ralph Lauren」も好きでいろいろコレクションしていました。そのうちの一つが「DOUBLE RL」というラインです。昔のネイティブアメリカンが使っていた柄のネルシャツですが、こういったものをいっぱい集めていて、原宿に「Ralph Lauren」はないなぁと思っていたら一番大きい旗艦店ができたんです。僕の好きなお店がどんどん渋谷、原宿に集まってくることで、やった!と思い、このシャツも一応持ってきた次第です。

そこを渡って進んでいくと「ラブラドールレトリバー」というショップブランドがあり、昔は一世を風靡して渋谷、原宿の人がみんな着てるんじゃないかというほど、犬のマークが入ったトレーナーが大ブレイクしました。最近はブランドの活動が殆ど終わっているようで手に入りにくくなっています。特に女の子がよく着ていて、修学旅行で東京に来た人がこれを買っていくというお土産としても有名でした。一番最後のころは、明治通り沿からちょっと入ったところにお店がありました。

キャットストリートを渋谷駅の方に向かうと、住宅街だったところに今はアウトドア系のお店、「adidas」や「OAKLEY」「Burton」「Gregory」、「HELLYHANSEN」「KEEN」などがあり、多くの店が出店してくるきっかけとなったのが「Patagonia」というアメリカのブランドだと思います。この場所には90年後半にできますが、日本に入ってきたのは89年の目白店が最初です。こちらは、その店をはじめ各地でいろいろ買い集めたネルシャツの写真です(画面にネルシャツの山の写真)。例えば、これが94年のモデルで、毎年4、5色、オリジナルの織りで、ネルの産地ポルトガル製の生地を使っていてしっかりしたもの。ヘビーネルという商品名です。携帯で撮ったので画像が良くないですが、いろいろ買い集めたコレクションの一部ですが100枚くらいは持っています。アメリカサイズで大きいので、私だとSサイズぐらい。Sサイズで100枚持っているのは日本人で僕だけだと思っています。「Patagonia」を大好きな僕としては、キャットストリート沿いに大きなお店ができたことはとても嬉しく思っていて、これも自分の歩いているエリアがブランドを吸い付けているという一つの象徴じゃないかという事件として受け止めています。

持ってきたのはこれで全部です。裏原エリアの話を広げると、またお話が別に1本できてしまうので今日はぜんたいの大きな流れのお話をしました。そういう形で考えてみると川の水の流れが渋谷に向かっていくところに沿って、その上に先ほどもオリンピックの話が出ましたが、東京オリンピックを機にキャットストリートは暗渠化されます。川に蓋をして道にしたものをするのを「暗渠」といいますが、その上がどんどん栄えていくという現象が起こり、渋谷川は明治神宮からの流れのものと、新宿御苑からも流れているものがあり、千駄ヶ谷を通って流れがきて途中で合流しています。

川の縦の流れがそういった道をつくっていることがあり、今も僕はその上を移動しながら、いろんなものを感じ取っているのは、一つの水の流れ「ストリーム」が「ストリート」になって、それが僕の「ストーリー」になる・・・、というのを画面に文字で出すとうまいこと言い過ぎているようでちょっと恥ずかしいと思い、言葉で言うだけにしますが、そんなことを今回は見直して感じました。渋谷のそういった文化の流れが縦の線で生きているのかなと思いました。僕は84年からしばらくは原宿の歩行者天国でブレイクダンスをしていて、そのすぐ横に見える会社(NHK)で今働いているのも何かの縁かなと思っています。これからも渋谷をみなさんで盛り上げていって楽しい、良いまちに、生活するにも何かちょっと変わった魅力のあるストリートの力を持ったまちになって行くと良いかなと思っています。とりとめのない話ですみませんがありがとうございました。

 

尾関 憲一(NHKエンタープライズ エグゼクティブ・プロデューサー)
Ken-ichi Ozeki
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