shibuya1000

Shibuya 1000_007 「シブヤ南北合戦」

2015年3月4日(木)18:00~

@8/COURT(渋谷ヒカリエ8F)

トーク01 「シブヤ・クロッシング」

田村 圭介(昭和女子大学環境デザイン学科准教授)

プロフィール

田村 圭介(たむら けいすけ)昭和女子大学環境デザイン学科准教授

1970年東京生まれ。巨大ターミナル駅の形とその変遷過程についての研究を行っている。一級建築士。著書『迷い迷って渋谷駅―日本一の「迷宮ターミナル」の謎を解く』、『東京駅「100年のナゾ」を歩く』他。

昭和女子大学の田村です。よろしくお願いします。

今日のお話しについて「シブヤ・クロッシング」ということで題名を付けました。クロッシングというのは英語で言うスクランブル交差点のことです。クロッシングには掛け合わせるとか配合するという意味があるので文化の配合、絡め合わせた場所としてのスクランブル交差点ということでお話をさせていただきます。そして渋谷の「南北」という宿題が出ていたのでそれと合わせてお話しさせていただきます。

私が今日ここに呼ばれたのは、渋谷駅の研究をしているからだと思いますが、やっていることは2つで、渋谷駅の複雑な空間構成とその現在の複雑な空間構成が時間の中でどのようにできあがってきたかを模型や二次元を使って研究してきました。もともと建築の設計をしていたのですが、これを研究するようになってから歴史的なことも学ばなくてなりました。時代の変遷のなかで渋谷駅の形態が変わっていくのですが、変わるときの要因を明らかにしなければなりません。それがどういう歴史的な要因であるのか。例えば乗降者数が変わったとか。戦争が終わると根底から社会の考え方が変わり、それにより駅の形態がどう変わってきたかということを研究してきました。そのため歴史的な事実をいろいろとピックアップしていかなくてはいけません。研究の過程で様々な歴史的事実や現象がスクランブル交差点で起きてきたのが分かってきたのですが、そこに渋谷の文化をつくっている根深い南北文化があるのではないか、というものをお話させていただきます。いつもはスクランブル交差点でも背景にある渋谷駅の方の話をしますが、今日は駅の足下にあるスクランブル交差点の話とスクランブル交差点の独特の文化について私なりにお話ししたいと思います。

ある現象とは何かというと、ちょうど4ヶ月くらい前、2014年10月31日のハロウィンにスクランブル交差点だけではなく、そこから続くセンター街に異様な光景がありました。スクランブル交差点でハロウィンをやるのは去年が最初ではないようですが、ここまで大々的に大きなイベントになったのは去年だと思います。1スクランブル交差点、2鉄道、3南、4北、最後まとめと、こんな感じでお話ししていきます。

スクランブル交差点ですが、私が学生だった頃からアメカジとかキレカジとかいろんな文化が起きてきました。渋谷で何かが起きると駅を使うわけだから、みんなどうしてもここ通り過ぎるので、スクランブル交差点は一つの舞台のようになります。例えばコギャル文化やヤマンバとかガングロ、最近ではワールドカップや年末カウントダウン、先ほどのハロウィンがありますが、何か新しいものが必ずあります。これはアレックス・カルバルロという人が撮った「2006年の渋谷」という写真です。これはいわゆるヤマンバで、かなり特異な文化だと思います。ファッションは綺麗になりたい、美しくなりたいというものだったのが、ここに現れた文化は明らかに違っていて完全に他人を拒む、嫌悪感を抱かせる、実際に彼女たちに言わせるとキモくなりたいや嫌悪感を抱かせるものに憧れるのだそうです。そこには若者の凝縮された、変身願望、全く違う人間になって相手を威圧するというものが見えます。この写真が面白いと思うのは、この女の子はヤマンバ文化の次のギャル文化を背負っていて明らかに先輩格であるヤマンバに負けたという視線を送っているのが面白いです。そういう移り変わりが渋谷では絶えず今でも起きています。

最近面白いと思うのはお祭りの場としてのスクランブル交差点です。信号が変わる2分45秒のあと、交差点を渡れる45秒間の間にお祭りをする。その信号が変わるリズムで、潮の満ち引きのごとく行っては返り行っては返りが繰り返されていく。これの延長にカウントダウンや警察の方もご苦労されていると思いますが、こういうものが最近のスクランブル交差点としては結構新しくて見ていて面白い。インターネットの影響ガが大きいと思います。フェイストウフェイスの情報交換が失われつつあり、どこかで盛り上がったときに、インターネットでは炎上という言葉がありますが、炎上だけではなく体を使ってリアルに爆発させることの場として渋谷のスクランブル交差点が機能しています。ハロウィンで面白かったのは、今の話してきた文脈でいうと変身願望とインターネットの出現によって、はけ口としてのお祭りの場としてスクランブル交差点があるということです。

これはうちの研究室の学生たちなんです。この時期は卒論で忙しく根気詰めてがんばっているころです。僕の研究室は彼女たちの作業をしている製図室の隣にあって、僕の研究室の前を通らないと彼女たちは外に出られないんです。この日は私の研究室の前を通るときに、何かこそこそやっていました。なんだか怪しかった。次の日のニュースで直感しました。彼女たちは全員抜け出して、コスプレしてスクランブル交差点に繰り出していたのです。面白いのは、それまで渋谷の文化に一般の人が参加することはあまりなかったと思います。先ほどのガングロやヤマンバは普通の人にできないところがあったと思います。それがハロウィンでは全く普通の人たちが参加しています。彼女たちが何をやっていたのかというと。この2人はのび太君に変装しています。そしてのび太君たちはただ何時間も練り歩くだけなんですね。そして、面白い人に会っていっしょに写真を撮ってネットにアップしていく。別ののび太君に会えば写真を撮る、ドラえもんキャラに会えばまた撮るというそれだけらしい。でも、それが一つのコミュニケーションであり喜びであり、一つの盛り上がりがハロウィンであるというわけです。

ハロウィンも面白いのですが、もう一つは最近のスクランブル交差点が外国人の観光地化していることです。初めてスクランブル交差点で記念撮影をしている人を見て正直驚きました。スクランブル交差点がまさか写真の対象になるとは夢にも思ったことがなかったからです。これはスタバからスクランブル交差点を撮った写真ですが、ここから渋谷駅がよく撮れるんです。昔ここで渋谷駅の写真を撮っていてデータを消去しなさいとよく言われました。が、最近は撮影スポットとなり、外国人が並んで写真を撮っているんです。これは何なんだと思うとき、たぶん彼らたちにとってはちょんまげや富士山、侍という日本文化の時代は終わっていて、一つの日本を感じる自然現象として見ているんだなと考えます。我々がナイアガラの滝、アメリカやカナダを感じるがごとく、スクランブル交差点を見ているのでしょう。

このスクランブル交差点をつくっているのは渋谷が谷だからプラスひだ状の地形にあると思います。かつてここに渋谷川が通っていて、谷底は3つの川が合わさって沼地になっていました。沼地で水が多いから木々が鬱蒼とした森であったようです。近代を迎え現代になって森は今も変わっていないと思います。森の木々が建物になって別の形になり、森が更に立体的な形になってひだ状の地形がスクランブル交差点を覆っている。ひだ状の地形には、独特なものが現れます。例えばこれは円山町にある台湾料理屋ですが、ここに坂があるとここから入ると1階でここから入ると3階という階数を定義できない建物です。そして、様々なところに隠れ場所ができます。こういう隠れ場所には古いものがあったり新しいものがあったり時間差のある文化が積層されます。そういうことが背景にあるからスクランブル交差点には次から次に面白いものが出てくるのではと思います。

話は変わります。渋谷を語る上で鉄道の話をしないわけにはいきません。

ルミエル兄弟が1895年に映像化したもので最初の映像化は汽車が通る姿だったということが面白い。当時汽車や鉄道はインパクトがあったと思います。たぶん鉄道が文化に入ってくるインパクトは我々が現在体験していることから想像できます。iPhoneというテクノロジーが入ってきたことで我々のライフスタイルが大きく変わりました。これ以上のインパクトが当時鉄道にあったのではないかと考えます。鉄道は点と点を結ぶテクノロジーですがプラスその中にコンテンツがありメディアとしても考えられるわけでiPhoneにとても似ていると思います。そんな鉄道が1885年に日本鉄道品川線開通ということで渋谷を通ります。すなわち渋谷駅の発生です。大げさにいえばスクランブル交差点の発生とも言えますでしょうか。日本鉄道がなんだったのかというと渋谷、前橋、横浜を結んだんです。前橋には絹があって絹を横浜港に運び、横浜から海外に輸出する。明治の最初にお金がなかったため考えたのが絹を輸出することでした。ここに凹みができているのがとても重要で、この凹みの谷のようなところが駅の発生に繋がったと。ズームインして見てみると前橋から鉄道を引っ張り、上野まできました。新橋は1872年に開業していて、ここから横浜港に繋がりました。繋げたいところは都市化が進んでいたため簡単に鉄道が引けない。明治政府としては一刻も早く輸出したいため迂回してバイパスをつくったのが新宿駅、渋谷駅となります。

ここに一つの渋谷文化醸成のキーがあります。これをバッグラウンドにして私が思う南と北の文化について話をしていきたいと思います。

「南」の文化です。先ほどの鉄道の話でいくと渋谷は必然的に横浜に繋がりました。渋谷には横浜からのこういった洋風文化がどんどん流れていたはずです。渋谷駅の最初の乗降者数は0人でしたが、やはり大山街道があって何かしらの摩擦が起きて渋谷駅周辺が文化を受け入れることが起き始めます。鉄道と大山街道という渋谷にもともと受け入れる土壌はあったのです。戦後になると非常に衝撃的なことが起こります。それはワシントンハイツです。これは今の代々木体育館、代々木公園それから区役所の辺にあった戦後の占領軍の居住エリアでした。そんなものが渋谷に突然できます。南からの横浜文化が戦後こうしたワシントンハイツとして北に構えるわけです。ワシントンハイツは夢のような渋谷にあったアメリカ文化の街なんです。谷の上には緑の芝生に典型的な白い住宅が点在するアメリカの理想郷のような場所がありました。更にこれは塀に囲まれていて、日本人が入らないようにしてありました。対して、谷底の渋谷駅界隈は物がない時だったので闇市が広がる無法地帯化していました。黒澤明の映画「天国と地獄」のようです。当然このワシントンハイツは渋谷の憧れの場所になりました。南からきて横浜が形を変えてここに構え、これが今の渋谷の洋風っぽい文化をつくる大きな南のものではないかと考えます。1964年になるとオリンピックで代々木体育館が建てたれますが、建築的には素晴らしいといわれていますが、実は社会的にはアメリカから日本を奪還したシンボルだったのです。ワシントンハイツはオリンピック後消えますが、これが新宿と比べたときに圧倒的に違う渋谷の洋風文化をつくっているんじゃないか。青山、渋谷はもちろん、恋文横町などにまで影響したと思います。

続けて「北」にいきたいと思います。日本鉄道は北へ延びてきます。唐突ですが、「北」で強烈にあるのは「なまはげ」です。そのためにはちょっと東京駅の話をします。先日、東京駅が100周年記念を迎えました。東京駅は100年ですが渋谷駅は今年130年、新橋は143年です。渋谷駅の方が古いことはほとんど知られていません。しかし、そんなところに渋谷のスクランブル交差点の文化が醸成された理由が隠されているのではないかと思います。東京駅ができる前は、上野、新橋、新宿、千葉までで、東西南北から延びてきた鉄道が中心に入り込めなくなっていました。その間に実は渋谷にたくさんの文化が流入していたのだと思います。東京駅がたまたまできなくてここが繋がらなかったから、北からの文化と南からの文化が渋谷に入ってきたと考えるわけです。これは渋谷という場所を差異化するには結果的にすごいことだったのではと思います。そこで「なまはげ」のことですが、なまはげが汽車に乗って渋谷に来た話をしたいのではなく、岡本太郎の力を借りて説明したいと思います。岡本太郎はそれまでゴミとしてしか扱われなかった縄文文化を発見し、そこに彼は日本文化の根源、命、そういったものを発見します。彼は1952年に縄文土器についての本を出しますが、それに続いて日本の根源ということで東北に興味をもっていきます。彼は東北に日本の根源やバイタリティーなど失われた日本の根源を求め、探していきます。命であるとか生命であるとか、そんなことを彼は言います。そんな東方の文化が日本鉄道を伝わって渋谷に流れてきたというように考えるわけです。「明日の神話」が渋谷にあるのも偶然ではないと思います。そういった因縁、土壌があるのではないかと。ですから僕が言っている北というのは東北の文化のことです。ちなみにこれはスクランブル交差点から見た「明日の神話」ですが、よく見えないのでもう少し透明性が高いと祭りも盛り上がるのではないかというお願いです。

まとめとしては南のワシントンハイツに代表される洋物の文化と北の東北の日本の生命、根源、エネルギーみたいなものが鉄道を伝って渋谷で出会い、スリバチ状のひだ状の地形にへばりつき、時間と共に神出鬼没しているのではないかと考えてみました。ちなみに1924年ハチ公も日本鉄道に乗って東北からやってきました。以上です。ありがとうございました。

 

田村 圭介(昭和女子大学環境デザイン学科准教授)
Keisuke Tamura
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