shibuya1000

shibuya 1000_010 「シブヤ合戦」

2018(平成30)年3月16日(金)18:00~

東京カルチャーカルチャー

1:イントロ「渋谷開発のこれまでの流れ」

田村 圭介さん(昭和女子大学准教授)

みなさんこんばんは。昭和女子大学の田村です。
 本日ご来場されている方々のリストを拝見させていただきましたが、渋谷駅の開発にかかわっている方ばかりですね。もう知っているという話が色々出て来るかもしれませんが、イントロとしてお聞きください。

◆渋谷の「今」と渋谷開発

 本日の議題「広場」ですが、僕の考える広場は、もちろん渋谷でいうと「スクランブル交差点」です。写真で分かるように、これだけ いよいよ、オリンピックに向けての渋谷再開発の形が見えて来ました。(スクリーンに映し出した写真を見ながら)左が"渋谷ストリーム"で右が"渋谷スクランブルスクエア"です。左側は外形的にはもう完成している様子で、右は日々どんどん建ち上がっている様子が見えます。(ビルの)足元は超迷路空間になっており、銀座線の新しい入口ができていたり、毎回来るたびにルートが変わっている、不思議な空間になっています。僕が学生の頃は、こういったところにあるベンチにはホームレスの人などが座っていましたが、今では普通のビジネスマンなどが居たりして、面白い風景が現れていると思います。ネットでも最近この付近の話題が多く取り上げられていて、というのも連絡通路等の変更の通知が壁に貼ってあるんですが、大体1ヶ月か2ヶ月くらいの早いペースで新しいルートが更新されているんです。一度この変更通知を追って変化の様子を見たいなと思うのですが、少々大変かなという感じです。
 今回の再開発で大きなポイントは、超高層ビルを建てるという点もありますが、駅そのものが大移動することですね。まるでパズルのように、地上2階にあった東横線が地下5階に移動し、空いたスペースにJR埼京線がさらに移動するといった感じです。ネットなどでは、東横線が地下に移動したことに対する不平不満が多く出ていますが、実はこの移動の前は、埼京線ユーザーからの不平不満がかなりありました。それが最近になりちょっと少なくなったところも、面白いと思います。
そして、この渋谷駅が移り、銀座線が引越しするというまさに大移動ですね。私は今まで渋谷駅がどういう過程を経て現在の姿に変わってきたか、歴史が始まる前の地形からその変化の過程を模型として形作り、その形態の変化の原因と結果について研究してきました。今の駅の複雑怪奇な形が、なぜこのような形になったのかということを追求してきました。(スクリーンに模型の写真を映し出して)これが今回の再開発の全体の青写真ですが、(ポインターで示しながら)ここがハチ公前広場、スクランブル交差点ですね、ここに道玄坂、宮益坂がありまして、国道246号首都高速3号線に明治通り、そして山手線ですね。面白いのが、有名な通りで区切られた区画に、一本ずつ超高層ビルが立っているという点です。一つが"渋谷ヒカリエ"ですね。これから6本の超高層ビルがオープンしていきます。

 今日、後ほど壇上に上がられるパネラーの方々がいるので、紹介を含めて説明させていただきたいと思います。"渋谷スクランブルスクエア"の東棟は隈研吾さんが関わられており、古谷誠章さんは"渋谷桜丘口地区"で国道246号を越えた先の桜丘というところでオフィスと住宅棟を建てられています。続きまして、今日急遽欠席となってしまった赤松佳珠子さんは、"渋谷ストリーム"を担当されています。こちらが一番最初にお目見えしているビルで、なんとなくこのビルぐらいのものが6本建つのかというイメージが見えてきた状態です。続きまして内藤廣さんは、全体の監修に携わっており、それから銀座駅も担当されています。渋谷駅周辺開発には6人のデザインアーキテクトの方がいまして、今回はそのうちの(赤松さん含め)4名の方に壇上へ上がっていただくことになっております。本日はいらっしゃいませんが、SANAAの妹島和世さんと西沢立衛さんは、先ほどの"渋谷スクランブルスクエア"の西棟と、ハチ公前広場から連続する入り口付近にかかわっていらっしゃいます。それから最後に、手塚建築研究所のお二人は"東急プラザ渋谷"を手がけられています。

 この開発地全体で、総延べ床面積が700万㎡程度です。はじめに"渋谷マークシティ"と"渋谷ヒカリエ"が超高層ビルとして建ち、全て合わせますと延べ床面積が1㎢くらいでしょうか。そうすると、渋谷区が15㎢なので、ここに渋谷区の面積の1/15くらいのものが出現するということになります。そして、この開発は100年に一度の開発と言われておりますが、100年前はどのような様子だったのでしょうか。

◆模型で辿る渋谷の変化

100年前は、実はここには何もありませんでした。丁度100年前の1920年に、渋谷駅舎ができますが、現在の地には渋谷駅舎というのはありませんでした。なぜかというと、現在の地に建てられた駅舎は二代目の渋谷駅であり、最初はこの地になかったわけです。そのため、そもそも渋谷駅を移してきたこと自体が100年前の大きな、100年に一度のプロジェクトだったと言えるのではないかと思います。山小屋風のデザインは、同じ郊外だったからか、原宿駅などと通ずるものがありますね。渋谷駅は、もともと(スクリーンを差しながら)このような谷地形がありました。渋谷川と宇田川がぶつかるところにあるこの谷地形には、有名な童謡の春の小川のモデルになった「河骨川」という渋谷川の支流があります。当時はこの童謡にあるようなのどかな風景が広がっていたんですね。そこに、1885年最初に日本鉄道の山手線が通り、初代渋谷駅ができます。まだハチ公も何もなく、馬だけがいるようなのどかな田園風景の中に駅舎が建てられます。(スクリーンに模型の写真を映し出して)模型で示すと、中央の道が大山街道で、大山街道から見るとちょうど谷になっている様子が綺麗に写っています。街道と交差するように山手線が最初に通り、谷の中心から少し南に初代渋谷駅ができます。今現在の渋谷駅の位置はちょうど谷の中心付近ですが、どうしてこれだけ離れたところにできたかというと、模型を見るとわかりやすいかと思います。初代渋谷駅は少し標高の高いところに建てられています。山手線の横を流れる渋谷川はよく氾濫したことで有名です。(水位が高くなっている橋の写真を差しながら)これは渋谷川の原宿側の様子を写した写真で、これ程毎年川が氾濫しており、このような水害から逃れるために谷から離れたところに駅が建てられたと考えられます。そして、先ほど示した谷付近の二代目渋谷駅ですが、水害という危険性はあるけれども、増加する通勤客を優先して、街の中に移動したというわけです。
 当時は代々木公園も明治神宮も、もともと練兵場でした。西側は広い面積がありそこを練兵場として使っていたため、渋谷駅は軍の関係の方で賑わいました。土日に家族にあったり、物見に来たりすることで渋谷が栄えていたようです。道玄坂のところには赤提灯が並びなかなか良い雰囲気だったという文献も残っております。
 1934年になると、私はこれを"五島慶太の渋谷駅"と呼んでおりますが、のちに大東急を築き上げた実業家の五島慶太が、この東急東横線というものを持っており、渋谷駅にデパートを建たせます。さらに、当時の銀座線も五島慶太が持っていたようなもので、この東急東横線・渋谷駅・銀座線の三地点を効率よく移動できるように全て近くに繋げています。地下鉄であるはずの銀座線が、なぜか山手線の上にあるという空間構造をここで築き上げます。これが渋谷駅の一つの縮小したミニチュアモデルだと思うんですけども、それを実現させます。(当時の駅付近の航空写真を差しながら)このように、中央の建物が渋谷駅で、駅の奥がデパートの東横百貨店、東横線です。そしてこれらが繋がり、交通をすべてリフトアップすることとなります。
いま写しているスクリーンの写真は、1945年11月の終戦直後の写真です。戦争が終わってすぐの頃で、つぶつぶした部分が見えますでしょうか。これが所謂闇市なんですね。おかしいかもしれませんが渋谷のハロウィンなどを見てると、この闇市の風景と一緒なのかな、などと考えて見てしまうんですよね(笑)。この頃から、渋谷駅の建物の周りに人が集まるという風景がありました。
 次は、エンタメ渋谷を物語る上で欠かせないひばり号(空中ケーブルカー)の写真です。これも戦後に、子どものためだけに作った遊園地化と言いましょうか。当時は屋上は一つの遊園地でした。そういった遊園地的な面が渋谷に現れてきています。これについては渋谷が郊外だったということも関わっているかと思います。
 そして次は、1964年東京オリンピック時の渋谷駅で、この時に大体完成します。1964年の渋谷駅は、ル・コルビュジエのところでスタッフとして働いていた建築家の"坂倉準三による渋谷駅"と私は呼んでいます。この時、コルビュジエが提案していたピロティを都市的に展開し、人工地盤をリフトアップさせて人を歩かせるということがなされています。これは未だに渋谷駅の特徴として残っています。それから、面白いのが東急文化会館です。駅とブリッジによって繋がれているため、駅を降りるとそのまま中を通って映画館に行くことが可能な構造になっているのです。これも未だに東急さんの文化として残っているのではないかと思います。そして、建築家の磯崎新は、この会館が世界で初めての超複合型施設だと言っており、すなわち鉄道施設・交通施設・商業施設・文化施設、それらが渾然一体となったコンプレックス型の都市施設として出現するわけです。面白いことに、当時の絵本などにはたくさん渋谷駅が出てきます。

 次の模型は1996年のものになりますが、先ほどの64年のものとほぼ変わらず、約60年ほどはこの時から姿を変えていません。1964年に一つの完成をみて、大改造が起き、それから長い間姿を変えていないんですね。ところが、人口増加や高度成長期ということも相まって、利用者はどんどん増加していきます。
(スクリーンの写真が変わり)おそらく会場にいらっしゃるほとんどの方は、この写真の渋谷駅の風景を共有できるのではないでしょうか。何が起きていたかというと、丁度スクランブル交差点で"しぶちか(1957年誕生の渋谷地下街)"の工事をしていた時、何をしたかっていうとこの時から地下工事を始めるんです。地上はもう目一杯になってしまっているので、ほとんどの新しい交通は地下で展開されていきます。そして次の写真ですが、これが超高層ビルの時代です。"渋谷ヒカリエ"に"渋谷マークシティ"です。渋谷駅はいきなり大改造してきたのではなく、少しずつ増殖するように変わり、色々なレイヤーが重層的に残り展開していると言えるかと思います。
 では、15分になりましたので、これで終わりたいと思います。
ありがとうございました。(拍手)

川添:田村さんありがとうございます。
 それでは、ここからトークセッションに移っていきたいと思います。まずは、今日いらっしゃっている3人の建築家の方々から5分程度でそれぞれの「渋谷観」をお話いただきます。また、当初予定していました赤松さんですが、本日急遽来れなくなってしまい、ビデオメッセージを頂戴しておりますので、そちらをご覧いただいた後、クロストークに入っていきたいと思います。
それでは、まず初めに隈研吾さんにご登壇いただきたいと思います。隈さんは新国立競技場の設計などでも有名ですが、こちらの渋谷でも、様々なプロジェクトにかかわっているとうかがっております。それでは隈さん、お願い致します。

 

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